[1:7] すごく場違いな質問で申し訳ないのですが
1 ナマエ:はにわはに丸 1999/04/28 20:20
先日、はじめてカキコさせていただいたはにわはに丸です。
このページには226事件関係で入ってきたのですが、その詳細でわかりやすい内容にただただ圧倒されました。面白かったです(^^
で、そんなところに図々しい質問で申し訳ないのですが、教えてほしいことがあるのです。
私は個人的興味から昭和軍閥を調べているのですが、
226事件時の陸軍省及び軍務局の動きがいまいち分かりません。
石原莞爾・杉山元系列で参謀本部はよく分かるのですが〜・・・。
もし、資料などご存じでしたらお教え願えないでしょうか。
・・・武藤章の回想録はさらっと流されてるし・・・。

国防関係ではないので大変恐縮なのですが、もし、知っておられるのならばお手数ですが私のメールアドレスまでご連絡下さい。
個人的見解などもございましたらお教え下さると嬉しいです☆
ではでは。

2 ナマエ:魔王ランス 1999/04/28 23:50:14
ありがとうございます。「2・26」はようやく裁判に入るとこにきたってところです。さて、陸軍省の行動ですが詳細な記録は私の手にはありませんです。ただ、政治官僚型の武藤章が上手に部内の統率を図って、断固鎮圧の方針で固めたようです。東条英機の行動も気になるところですが資料が無く、書けない有様です。なにしろ、資料が少ない、昭和史に残る大事件、しかも謎めいた部分がそこらにある。このへんが調べ甲斐があるといえばそうなんですけどね(^^;
3 ナマエ:魔王ランス 1999/04/29 23:00
武藤章については俺も興味があります。
では簡単な武藤特集をば(笑)

彼は単に政治的な官僚型ではなく、緻密で合理的な思考力を持つ謀将でもありました。
226事件後は統制派をまとめ、皇道派の大物から青年将校まで次々と粛正に辣腕を振るった。
一方、比島決戦の際、山下将軍が第14方面軍司令官の大命が下った。
その時、山下は参謀長に「武藤章中将を希望する」といい、周囲を驚かせた。
なんせ、武藤と言えばかつての統制派の首領格、対して山下は青年将校の擁護に回り、武藤と敵対した。
なのになぜ?
周囲からは「一番嫌いなヤツを死出の旅の道連れにした」とかウワサされたようで・・・。
しかし先ほど述べた通り、武藤は頭のキレがよく、行動力も長けいて、軍人としても有能であった。
ただ、傲岸不遜の態度は周囲に受け入れ難く、「ムトウにあらずムトク(無徳)なり」と陰で囁かれた。
しかし山下は武藤の力量をよく熟知していた。それは昭和13年7月に、北支方面軍参謀副長として武藤が着任した際の上官(参謀長)が山下であり、互いにその存在を確認し合っていたのだ。

そして武藤は、この時、近衛第二師団長としてスマトラ(インドネシア)に居た。
まさか自分に参謀長のお鉢が回ってくるとは思っても見なかったようだ。
(ちなみに親補職の近衛師団長から方面軍参謀長では明らかに序列下位にあたる。)
しかし武藤はこれを最後の奉公とし、山下と死ぬことを覚悟した。妙にサッパリした気持ちだったそうな。

山下・武藤の合理性を徹底した作戦指揮も、なにぶん着任から一週間で米軍が攻めてきたのだから、どうにもならなかった。
もう、この時にはかつての統制派も何もなくなり、「戦友」という固い絆で結ばれていた。
こんな非情な事態でも面白い話がある。

野陣なので、山下と武藤は薄い壁で仕切った部屋に隣り合わせに寝たそうだ。
翌朝武藤が
「昨夜は閣下のいびきで寝られませんでしたよ」
と言うと
「いや、君のいびきはダムの水音よりすごかったよ」
と山下も負けじとやり返す。
そこで次の夜、護衛憲兵が一夜両将のいびきを鑑定することとなった。
結果は山下のいびきは高いが休止があり、武藤のは低いが休止なしで引き分けとなった。(^^;;

最初から負け戦とわかっていた、ルソン籠城戦も終結し戦闘は終わった。
山下はマニラの米軍先般裁判で絞首刑宣告、武藤はかつて軍務局長時代の罪を問われて極東裁判へ、そして同じく絞首刑。
そして武藤の辞世の句は
「散る紅葉吹かるるままに行衛かな」
であった。

なんだか、バランス悪い中途半端な文章になってしまい申し訳ないです。
どなたか226事件の際の資料をお持ちでしたら、お寄せ下さい。
私も省部の行動について詳しく知りたいです。
4 ナマエ:Merkatz 1999/04/30 01:45:34
「マレーの虎」山下将軍も、フィリピンに着いてその防備状況の悲惨さに唖然としたという。そしてマッカーサーが私憤を晴らすため、戦犯第一号として冤罪で処刑された。私は「眼下の敵」という戦争映画の中で、Uボート艦長が語る言葉が忘れられない。「昔の戦争は負けても名誉だけは残った。だが今は負けたら何も残らない。勝っても残るのは嫌な記憶だけだ」。
5 ナマエ:泥禰亭 1999/04/30 06:48:13
艦長の言、感動しました。古今両面の見方。勝敗両面の見方。一面的戦争断罪とは段違いです。
6 ナマエ:はにわはに丸 1999/04/30 18:22:21
武藤特集、楽しく読ませていただきました。いまだ色々誤解を受けている彼ですが、対米戦回避のため努力し、『俺は戦争が嫌いだ』とまで言い切ったエピソードなど、常識的且つ合理的面の強い軍人だったのではないかと私は思っています。ただ、決定には従い、組織を越えられなかったところに彼の不幸があるとも愚考しておりますが。・・・近代以降の戦争というのは組織のエゴがぶつかり合う面もあるために名誉や感傷を押しつぶしてしまうのでしょうか・・・
7 ナマエ:魔王ランス 1999/04/30 23:11:01
そうですね。開戦後、日本軍が快進撃を続けている中、繰り返し講和を訴えて、東條に左遷させられたとか。大局を見る眼があったんでしょう。各方面への根回しの手際の良さ、政治家でも通用する能力だったと思う。そういや現在の政治家には根回し工作のウマい人が見かけられないなぁ・・・


doBBS