[1:21] 国家=公の「アホ」らしさ
1 ナマエ:gajaimo 1999/05/14 02:25
国家=公について、一回議論を皆さんとしてみたいと思って、やや挑発的なタイトルにしたことをお許しください。
そもそも、私たちが想定する国家とは、近代国家でありましょう。近代国家の成立によって、人類史上はじめて、国民(ネーション)の誕生を見ました。近代国家の成立に伴い、たとえば国家統合のしるしとして国語が制定され、国家が制定され、国家の象徴としての天皇が設置されました。近代国家成立以前、たとえば日本においても、「わたしは日本人である」と無意識に前提があるような人はなく、「わたしは**村のなにべえだ」という論理の立てかたで自分を認識していました。その延長上、国家を成立させるためには、強引に統合意識をもたせざるをえなかったのです。日本において、事実上天皇の権威が復活したのはそれ以上でもそれ以下でもありません。
したがって、あくまで「国家(=近代国家)」は歴史的であり、幻想にすぎないものであるはずです。現今においては、そうした「幻想」の共有が不可能になりつつあり、そろそろ統合意識としての国家の機能は終焉に近づいています(暴力装置(利害の最終調停役)としての国家機能は形を変え継続するでしょう。しかし、それが現在イメージされるような国家像であるということにたいしては、必ずしもそうではないといわざるをえません)。
本題に戻ります。
結論としてなぜアホらしいのか、ということですが、
国家=公説はこうした近代国家の成立過程をまったく抜きにし、幻想(空想)のみに依拠した根拠なき説である、という点でおかしいというのが一点。さらに、そうした国家のありかたにたいして、過剰な思い込みが先の戦争を招いた一側面である、ということの反省にふれず、オルタナティブを模索しないという点でおかしい、というのが一点。また、国家それ自体も「歴史的」なものであって、普遍的なものではないという認識が欠落しており、公という概念を一方的に国家に入れ込むという点でおかしいという点です。
その幻想性のゆえに暴走した国家ではなく、リアルに手の届く範囲においての公を模索し、復権・確立するのが今もとめられていることではないでしょうか。

2 ナマエ:時世 1999/05/14 19:56:42
どうして、不可能の判断できる? どうして国家の昨日が終わりにちかづいているといえる? 総合意識としての国家がなくなって、でも「暴力装置」としては継続するの? だったらそれが「国家」じゃない? 認識も含む、そして暴力装置としての役割も果たす それが「国家」である ・・・で あなたのいう「リアルに手の届く範囲」ってどんな範囲? あなたのいう幻想という意識体があるから 国家としてその認識がもてて そこに「自分が属している」と思える だいたいからして、「あくまで国家は幻想にすぎない」もう、この時点で極論だ どうして日本人という意識が「幻想」とハナからいえるのか? 国家=公は「みんなのいる場所」という意味 つまり国家だ 国家には自分以外のいろんな人がいる いちいち「歴史的なもの」とかなんとかって 文面をわかりにくく説明するのは左翼の悪いくせだ 「幻想性のゆえに暴走した国家」ってどういうこと? それ、あなたのかってな判断でしょ?  もっと、抽象的にならずわかりやすく
3 ナマエ:時世 1999/05/14 19:57:34
失礼・・・「昨日」ではなく「機能」でした
4 ナマエ:泥禰亭 1999/05/16 07:36:41
熱ちちっ。時世さんも熱いです。やはり「返事を書く」を勧めます。魔王様が率先垂範されています。「論者」を左翼呼ばわりするのは最後の武器です。
5 ナマエ:時世 1999/05/16 19:58:07
はーい・・
6 ナマエ:魔王ランス 1999/05/15 00:58
難しい文章ですね。
それでは私の観点からの意見を・・・

国家の概念としては
領土を基礎にそこに定住する人間が強制(執行)力を持つ統治権の下に法的に組織されるようになった社会=国家です。
氏のいう「暴力装置」というのはここにいう統治権のことを指すのでしょう。
「利害の最終調停役」という説もわかりますが、近代において国家なくして人は安全な生活をおくれませんし、生活そのものが成り立つか疑問です。原始生活になってしまいますから(^^; 
というのも国家の権力作用には強制を強いるもの(警察力など)もあるし、水道などのサービス提供もあるわけで、こういう機能は無くなることはないです。これらを考える上で単に暴力装置と一言でくくるのは少し都合が悪い気がします。
(もっとも氏が国家解体をうたっているわけでないことはわかってますよ。)

また、「過剰な思いこみが戦争を招いた」について。
これは戦前の国体護持の考えで暴走した軍人を示唆しているのでしょうか。
確かに当時、19世紀にドイツの学者が広めた国家法人説(日本でいう天皇機関説)に対し、「国体に反する」と美濃部博士が弾圧されたのはご存じの通りです。
ただし、ここでいう国体に反するというのは、国体の中の2つの意味においてです。
国体には大きく3つの意味があると考えられてます。

1)天皇に主権が存ずることを基本原理とする国家体制。
2)天皇が統治権を総攬するという国家体制。
3)天皇を国民のあこがれの中心とする国家体制。

これらの中で天皇機関説で問題とされたのは1と2についてで、氏の批判する「3」については何も問題とされてません。
暴走した軍人が一番気にしたのが1と2についてであることがわかります。これは終戦の際、ポツダム宣言受諾の際にも、無条件降伏でなく、1と2についてなんとか存続させようとしました。彼らがこだわるのは天皇の名の下にほとんどやりたい放題にやれる現体制を維持したいということでありました、だいたいの本音は。
従って3の、いわゆる「幻想」にあたるものが戦争を招いたと考えるのはどうでしょうか。

自分も「国家=幻想」説には承伏できません。
時世氏のいうように極論といえばそれまでですが・・。国家が歴史的で普遍ではないとおっしゃってますが、これは現在の国家は過去の歴史を背負っていることを考えればそうでしょう。ただ普遍でないという意味がよくわからないです。
是非、くわしく御説を拝見したいので、私からもわかりやすい文体で書いていただけたらと希望します。

(俺のこの返答もわかりにくい文体かも・・・(T_T))
7 ナマエ:泥禰亭 1999/05/16 07:43:27
二日見なかっただけで、随分本格的な状況に。多目的掲示板が今は無き研究会掲示板のように感じられます。ニヤリ。
8 ナマエ:Merkatz 1999/05/15 23:13
gajaimoさんにお聞きしたい。国家に対する統合意識というものが「幻想」であるならば、『「わたしは**村のなにべえだ」という論理の立てかたで自分を認識』することはどうなるのでしょうか?
「わたしは**村のなにべえだ」という論理の立てかたで自分を認識している延長に国家という統合意識を持ってきたと言うなら、根本からすべて「幻想」ということですか?
つまり村落共同体の意識からして「幻想」であり、その集合体である国家もまた、「幻想」だとあなたはおっしゃりたいのでしょうか?
違いますよね。手の届く範囲の公である村落共同体は「実存」するものだが、現実感のない国家という代物は「幻想」だ。そのように私は解釈しましたがよろしいでしょうか?以下はその前提のもとに話を進めます。
なぜ、実存する村落共同体を統合すると、国家という幻想に変わってしまうのでしょうか?gajaimoさんは「天皇の権威によって強引に持たせたものだからだ」とおっしゃる。つまり自然発生的ではなく、強制であるから幻想であると。
しかしちょっと待ってください。国家意識というものが明治政府が誕生して、強引に植え付けられたものだとするならば、その前段階における意識はなんと説明すればよいのでしょうか。
幕末に危機感を抱いた人たちはこう考えて行動していましたよね。「このままでは日本はつぶれてしまう」。
このときの「日本」とはいったい何を指すのでしょうか。薩摩や長州といった藩を指すのですか?違いますよね。これはまぎれもなく「日本」そのものを指します。われわれが帰属する共同体「日本」という国家をです。
もちろん維新志士たちも自分の藩の利益も考えなくはなかったでしょうが、それを超える「日本」の利益を考えたからこそ、藩の枠を超えて協力し合えたのでしょう。
明治政府を近代国家のはじめとするなら、それ以前に存在する国家意識はなんと説明なさるのですか?あなたの理屈で言うなら、このとき村落共同体以上の意識が存在する筈はないという事になるはずですけど。
もうちょっと遡って戦国時代。このとき信長が意識した「天下」とは何ですか?尾張国の延長ですか?違いますよね。「天下」=「日本」ということを明確に意識していますよね。
無論これらは「近代」国家意識ではありませんが、国家意識そのものが「近代」国家と共に作られた「幻想」というあなたの説明では、到底解説できません。
これらは国家意識というものが、未発達ながらも昔からあり、それが近代になって結実した証左であると私は考えるのですけど。

国家=公説というのは小林よしのり氏(以下、よしりん)のことを受けて言っているのでしょうが、ちゃんと読んでますか?
よしりんは公を考えるときリアルに感じられるのは自分の周りだろうけど、どこまで範囲を広げることができるのか。それは国が限度じゃないか。そう言っているんですよ。
国家が公のすべてだというのではなく、公というものは伸縮自在だけど、範囲は国家までが限度だろうといっているのです。
つまり、よしりんの言う「公」は村落共同体も含んでいるのです。
リアルさという点においては、身近な村落共同体のほうに軍配が上がるでしょう。しかし国家という共同体も間違いなく「実存」しています。
なぜなら国家には、国土があり、そこに住む民族がおり、代々受け継がれてきた文化があり、今まで生きてきた歴史があるからです。これらは間違いなく「実存」するものであり、決して「幻想」ではありません。
もしgajaimoさんが国家を「幻想」と言うなら、これらのものすべて「幻想」となり、日本の過去の歴史は顧みる必要のない幻となってしまいますね。幻である以上、日本は戦争の謝罪なんてする必要はないですね。私は違います。「実存」するものとして受け止めたいと考えておりますので、歴史に学ぼうと努力しています。

統合意識としての国家というものが終焉を迎えようとしているのなら、なぜ今、民族独立を求める動きが極限になっているのでしょう?アルバニア、チベット、ティモール・・・彼らは時代遅れなのでしょうか?
ユダヤの民は第2次大戦が終わって、悲願の国家建設を為しました。アラブの侵略に戦い、今も独立を維持するための努力を怠ることはありません。またそのために追われたパレスチナの人々も、かつてのユダヤ人のように建国への努力を怠りません。
あなたの理屈はことごとく世界の動きを説明できません。なぜなのでしょうか?

私はgajaimoさんのような「国家=公は幻想」という主張を聞くたびに、今現在の日本の危機的状況をひしひし感じます。
なぜかというと「国家=公は幻想」という主張は、この日本においてはある意味的を得ているからです。
我々の現在住む国家は、誰が作ったものでしょうか?これはアメリカです。憲法を御覧なさい。あれは日本人の手によって作られたものですか?違いますよね。憲法というものはいわば民族の文化・歴史などが凝縮したものです。簡単に言えば「大和魂の結実」とでも申しましょうか。
フランスなら人権宣言、イギリスなら権利章典、アメリカなら独立宣言、という具合にそれぞれが自分たちの得てきたものによって憲法を作っています。
しかるに日本国憲法はどうか。そんなもの一欠けらもありません。すべては「メイド・イン・GHQ」であり、「大和魂」の発露なんてこれっぽっちもありません。
こんな自国の伝統や歴史に基かない憲法のもとに作り出される日本国および日本国民が、幻想以外の何物でありましょうか。
大日本帝国憲法は曲がりなりにも自分たちの手で作り出したものでした。ゆえに「神国日本」も「実存」できた。
しかし現憲法における日本など、過去の歴史を受け継いではいない。我々は日本国土に住みながら、歴史を断絶させられ、そのことを認識することもなく「日本国」「日本人」と思っているのだ。
「幻想」。そう、間違いなくこれは「幻想」なのだ。我々は日本国憲法を廃憲しなければならない。そしてすみやかに歴史的つながりを持った憲法を制定する必要がある。
そのときはじめて「国家=公」という意味がわかってくるのではなかろうか。
9 ナマエ:魔王ランス 1999/05/16 02:27:08
自分は松本丞治を長とする「松本委員会」の作成した憲法改正草案を評価してます。天皇が統治権の総攬者というのは明治憲法と同じですが、議会の議決力を強化し、もっとも問題となる統帥大権を廃棄したアレです。「国体護持」で一番問題となる統帥権を削除したのであるから、戦前のような軍部独裁は生まれないだろう。さらに国務大臣は議会に対して責任を負うようにしたので、民意を反映しやすくしてると思う。 しかしマッカーサーはこれを一蹴。日本に「作れ」と言っておきながら、結局彼らの作ったものを「認めろ」に変わっていった。この辺りが「押しつけ憲法」と言われる所以でしょうね。ちなみに自分も改憲論者です。
10 ナマエ:gajaimo 1999/05/16 14:22
皆さん、私の文章にたいして、批判的検討をありがとうございました。議論とはこのように実りのあるものでないといけませんね

私は、「統合意式としての」国家の機能は現在終焉に近づいているとしました。従って、国家機能自体が終焉に近づいているとは言っておりません。ただし、私の文章にはなぜ終焉なのか、ということがきちんと書かれていないため、わかりにくくなったことをお詫びします。
統合意識としての国家機能の終焉について論じるので在れば、論理的には、まず国家の定義について論究しなければなりません。
国家とは、私の定義するところ、端的に「暴力装置」であります。更に具体的に申し上げるならば、それは誰による、なんのための暴力装置か、ということでしょうが、私としては資本による資本のための暴力装置と言えましょう。資本制社会においては、その支配的モメントはまぎれもなく「資本(=自己増殖する価値)」であります(資本の定義については、以前提示した文献をお読みになれば良いと思われますので、ここでは若干の注釈をつけておくにとどめます。資本はここでは、とりあえず企業と解釈してもらって結構です)。
支配的モメントが資本である以上、国家はそれに追従し、それに資するような政策をとり続ける必要があります。たとえば、福祉政策を充実するのは、労働力の安定的供給のためであり、決して福祉の充実が第一義的にきたものではあり得ません。ムダと分かり切っているにのもかかわらず、アメリカにおける軍事産業、日本におけるゼネコン・土建事業への公共事業の偏重はそれぞれの国家における、支配的主体者が資本であることを例証していましょう(日本の場合、福祉に公共事業をまわしても、土建事業と変わらない雇用をタ現できます。しかし、福祉にお金が回らないのは「利潤」が発生しないという理由に他なりません。資本が支配的モメントである国家においては、そうした政策は執り得ません)。
ところが、そうした資本の規模の増大はグローバル化という言葉に象徴されるように、一国のうちでは価値実現が不可能に成りつつあります(生産と消費の矛盾)。実際に海外への資本移動を行っている例は、枚挙にいとまがありません。そうした中、一国家が影響可能な範囲は極めて小さくなってきています。
歴史を少しさかのぼり、20世紀初頭の西欧列強による帝国主義的な植民地の奪い合い、そして日本におけるアジアへの帝国主義的侵略戦争は、一国の影響力が資本の発展段階にとって、まだ大きな時代であったことの例証に他なりません。明治維新以降日本が近代国家建設に邁進したのも、世界的な資本主義的生産様式の高まりによる、必然的な流れであったと断言できます。
そうした中で、国家の統合意識を高め、国家による資本への影響力行使に資するものとして、天皇制というイデオロギーが登場したのは合理的な帰結であると言えます。
しかし、先に述べたような資本の広範な運動は、こうしたイデオロギーの必要性を無くさしめ、結果として現在の一般的なイデオロギー、個人主義などに結実していくものであるのです。

公の定義についても、若干述べておきます。
私は公の存在は認めておりますし、それは必要でもありますし、客観的な事実として存在しています。しかし、それが国家が最大限度になるとはいかんせん納得がいかないだけなのです。
人は原始時代から人と行動をともにし、集団生活を営んできました。従って、人と社会は切り離しが不可能なのものであり、それが切り離せるのであれば人は人間としての存在を否定されるものであります。個人があって社会があり、社会があって個人があるのです。ただ、繰り返しますが、国家がこれの最大範囲である、というのは全く納得がいきません。先に述べたように、国家とはその時々の生産様式に規定される者であり、いずれは統合意識としての国家機能は薄れて行くでしょう(現在薄れつつあります)。そうしたときに国家=公と決めつけるのはあまりにも素朴な意見で、その信念には感服しますが、科学的根拠に基づかないこうした意見は到底受け入れ不能です。

国家の種々の形態にたいし、普遍性がなく、歴史的なものである、といったのは説明上不可欠であったのでつかいましたが、言葉とは抽象的であるからこそ言葉であるのを忘れておりました。抽象的なタームを駆使するためには、それ以前の具体的な教養が必要であります。ここで、具体的事例を述べていくと一冊の本がかけてしまいますので、はぶきますが、読んでいただけるとありがたい文献を紹介しておきます。
後藤靖・芦田文夫・坂本和一編『新経済学の基礎』有斐閣双書,1984年
11 ナマエ:MM 1999/05/16 15:40:18
ぬぬぬ・・・充実した文ほどムズイ・・・。ちょっと、妙なこと聞くようで申し訳無いんですがgajaimoさんは無政府主義を支持してるんですか?
12 ナマエ:日向ゲンドウ 1999/05/16 23:41:17
勉強不足の私にはなかなか難解な文章で・・・国家については納得出来る部分もあります。しかしながらそれに代わり得るシステムが現在存在するのでしょうか?ぜひお聞きしたいです。まさかMMさんの言われるように無政府主義者なのですか。
13 ナマエ:魔王ランス 1999/05/17 02:45:06
自分は国家(権力)、並びに憲法は国民(自然人、法人問わず)を擁護するものだと大学で学びました・・・。この考えはヘンでしょうか。
14 ナマエ:Merkatz 1999/05/17 03:56
gajaimoさんは「統合意識としての国家の機能は現在終焉に近づいている」とおっしゃいますが、私はそれに対してイスラエル、パレスチナ、コソボなどを挙げて何故これらの人々は統合意識としての国家を求めるのですか、あなたの言うことと世界の動きは矛盾してませんか、と問いました。
残念ながら批判に対する回答の中にその答えはありませんでした。
できたら上記の問いに対する回答をしていただきたいのですが。

さて国家の定義ですが、あなたの言うものはマルクスの言う資本主義の最終形態を想起させます。
伸張した経済力が国際市場を独占するというあれです。いわゆる帝国主義ですね。
かつては一国の力が資本市場に有効に作用したが、今はグローバル化してそれほどでもなくなったとのことですが、果たしてそうでしょうか?
帝国主義の時代にはすでに各国とも広範な範囲に権益を持っていました。それは今、企業が各地に進出しているのとさして変わりない有り様だと思うのですが。ただ主体が私企業の意志か国策かの違いというだけだと思います。
そして第2次大戦がアメリカの恐慌が、世界中に波及した結果であったことと、現在の世界的不況が日本発だといわれていることとを比較しても、一国が与える市場への影響力は、より多国間の結びつきが複雑になった現代こそ、増大していると言えないでしょうか。

また国家を「端的に暴力装置」だとおっゃいますが、それは極論だと思います。無論「端的」というのだからそれが一面であるとはgajaimoさんも考えているのだと思います。
国家の様々な面の中に「暴力装置」というものがあるのは事実です。しかしそれが「資本による資本のための暴力装置」というのは違うと思います。
国家が暴力装置を持つのは国民の生命・財産を守るためでもあります。もちろん資本主義市場を守るという意味も含まれています。しかしそれが目的のすべてではない。ひたすら資本のために国家が奉仕するとの考え方は、マルクスの唱える帝国主義の定義そのものではりませんか。
それはあくまで物事の一面であってすべてではない。福祉や軍需産業もすべて「資本に奉仕する目的を持って」というのはあまりに歪んだ見方だと思います。
「福祉にお金が回らないのは「利潤」が発生しないという理由に他なりません」とおっしゃいますが、膨大な赤字を抱える日本の社会保険制度の、どこをどう見たら「お金が回らない」と言えるのでしょうか。たくさんお金を回した挙句の赤字でしょう。資本主義という効率から考えたらこんなもの無駄以外の何物でもありませんよ。「労働力の安定的供給のため」でしたら老人福祉なんて要らないのではありませんか?働いている人だけに福祉を与えるほうが効率よくありませんか?
私は福祉制度に「労働力の安定的供給」という目的が無いと言っているのではありません。それもあるでしょうが、他の理由もあると言いたいのです。先の老人福祉の例で言えば、安心して老後を送りたいとする国民の要望に応える面があるといえるでしょう。それが廻り回って労働力の安定的供給に結びつくことがあるかもしれませんが、理由の「すべて」ではないでしょうし、「主目的」ですらありません。

「資本の広範な運動は、こうしたイデオロギーの必要性を無くさしめ、結果として現在の一般的なイデオロギー、個人主義などに結実していくものであるのです」という主張もおかしいように思います。
グローバルな市場の誕生が国家の統合意識を不必要にするとのことですが、ではそのグローバル市場で働く人はどこの国の人なのですか?地球市民ですか?無国籍の人間ですか?違いますね。そこで働くのは間違いなく「日本人」であり「アメリカ人」であり「イギリス人」「フランス人」その他などなどでしょう。
市場はグローバルになっても、決して人はいきなり国家意識を捨てたりしません。またその方向にも向かってはいません。
EU(ヨーロッパ共同体)は、国家というものがなくなる前兆と捉えられることが多いですが、全然違いますよ。彼らは市場こそ統一しましたが国家の統合意識を無くそうなんてさらさら思ってはいません。フランス人なんかは「いくら統合されるからといってもスペイン人みたいに午後十時に晩飯を食べるのはごめんだ」と言ってます。つまり市場は統合されても自分たちは「フランス人」だと言っているのです。
個人主義が一般的なイデオロギーというのも変です。日本でまことしやかに語られている「個人主義」と欧米の「個人主義」はまったく違いますよ。
日本では国家という存在抜きに語られてますが、欧米の個人主義はあくまで国家の存在が前提です。ですから彼らは一大事となればすぐに立ち上がるのです。ユーゴの空爆を御覧なさい。自分が大事の個人主義なら、あんな所に行って戦争をやる必然性なんてないのですから、さっさとトンズラすればよいはずです。でも彼らはそこに赴き、任務をこなしてますよね。これはあなたの言う「個人主義」では説明できないのではありませんか。

国家と個人の関係は、どちらが主でどちらが従かは言えません。双方に依存している部分があるからです。たとえば「個人」がいなければ「国家」が構成できないのも事実ですが、「国家」がなければ「個人」が福祉などの利益を受けられないのも事実です。
「国家」が他のものに変わるとの説は、いずれはそんな時代が来るかもしれませんが、現時点ではまったく説得力を持ちません。人類はまだ「国民国家」を超えるシステムを得るところまでは来ていないからです。個人主義はあくまで国家の存在を前提とするものですから、これは取って代わることにはなりません。
国連というシステムもはなはだ幼稚で、国民国家の代替にはなりません。
資本のグローバリズムを通して、人類の意識に何らかの変化が生じる可能性はあるでしょうが、即、国民国家解体というのは飛躍しすぎです。
まだまだ我々は「○○人である」という意識のもとで生きることになるでしょう。

そしてそうである以上、公の範囲は現時点においては国家の枠を超えることはないということです。
これが伸縮自在だとは前にも述べたとおりです。現在我々の生活する場が「国民国家」であるから、ここより出ることはないだろうと申しておるのです。
国民国家が解体すれば当然、公の範囲は広がるでしょう。そのときの代替システムが何であるかはわかりませんが、その範囲まで「公」が広がるのは間違いありません。何しろ公は「伸縮自在」ですから。
公は国家より外には伸びないといっているのではなく、とりあえず今のところは国家までが限度だということです。
15 ナマエ:野次馬三太郎 1999/05/17 18:30:32
割り込んですいません。国防 とは直接は無関係でしょうけど、興味深く拝見しております。なかなかチャットでは難しいテーマですよね。読み応え十分です。今後もテーマを変えての論争に期待しています。おじゃましました。
16 ナマエ:魔王ランス 1999/05/17 23:26:07
自分も冒頭の点はMerkatzさんの意見に同じです。ユダヤ王国解体から約2000年も迫害を受けつつも遂にイスラエルという自分達の国を作ったことの説明がつきません、gajaimoさんの御説だと・・。別に国家なくても彼らは世界中に影響力(経済的な)を持つのにどうして国家を求めたのか。やはり故郷(祖国)というものに対する意識は万国共通なのではないかと考えてしまいます。誰でも「ふるさと」を持っていたいという・・・。
17 ナマエ:gajaimo 1999/05/18 02:01:36
Merkatzさん、申し訳在りません。最近、極度に忙しいため、とりあえず、急いだほうが良いと思われる「イスラエル、パレスチナ、コソボ」等の問題に関する点について、ご返答を述べさせていただきます。仰るとおり、イスラエル等の例は必ずしも資本の要請のみによる国家樹立の機運の高まりである、と断じるのは適当を欠くと思われます。この点については、実は研究中でありまして、イデオロギーが優先している(ように見える)種々の情勢についての一般理論は研究しているところです。ご存じのようにほとんどの人は本質を意識せずに思考し行動するものであり、そのときの思考や行動のよりどころは一般にイデオロギーに行き着くことになるでしょう。そうしたイデオロギーの発生起源は、しかし、究極的・本質的には資本制社会に於いては資本によって左右されるものであると私は思っています。ただ、先に挙げたイスラエルの例を出すまでもなく、それだけは現実社会の正しい認識は無理があり、そうした不備が露呈した格好になったのが、今回のご批判ではないかと考えます。ただ、国家意識に基づく、と性急に決めつけるのはどうしても根拠が薄弱であり、納得はできません。すべての行動規範が国家意識に基づくので在れば、資本の多国籍展開は国家意識によって制限されるはずですが、実際はそうはなっていませんね。とにかく、イデオロギーが経済的背景に及ぼす影響は早急に検討されるべき課題であるという点を改めて認識できたので、一つ有意義に感じます。まずは御礼を述べておきます。(おそらく歯切れの悪い文章に感じる方もいらっしゃるでしょうが、現段階ではこのような答え方しか、私には無理です。どなたか検討の上理論補強してくださると幸いです
18 ナマエ:Merkatz 1999/05/21 06:07:34
gajaimoさん、了解しました。感情的サヨクと違い、誠実で論理立てて議論するあなたの態度は好ましいものです。他にもいろいろ問いたいことがあるのですが、今はあなたが勉強なさるのを待ちましょう。
19 ナマエ:時世 1999/05/17 23:42
資本こそが世界を支配しているとあるが
本当に「全世界」を支配しててるかな? その資本を支えている人間の意識がどこにあるかが問題だ
例えば米國の軍事産業にしても、憎くみ合う敵国にも平気を売るかな?
いくら、資本がグローバル化といっても その人間の精神意識体がどこに帰属しているかだ
友好國同志のやりとり(経済)はできる でも、いざ敵国となったらそれでも経済の相互関係はつづくかな?
世界連邦という理想がある。これは「協力」はできるだろう
しかし、精神の帰属が「連邦」にあるかといったら それはない
帰属意識があるのは 各々の自分が生まれた「国」である
貴殿が言った「国家がこれの最大範囲である、というのは全く納得できない」とあるが 国家以上に、あるいは「地球」に帰属意識をもってるやつなんて誰もいない
すくなくとも、私の周りと見る範囲では全くいない。
「統合意識として国家機能は薄れていく」ともあるが
「まとめ役」がすべての面において必要なのである
まとめ役となるものにはみんなの信頼がいる
まだ「グローバル」としてはみんな信頼してない
あくまで「グローバル」は理想の一つ 
薄れたら、その時はその民族の絶滅の時だよ
しかし 世界連邦では 真のグローバル化はないが、
世界帝国ならグーローバル化になるかもね(笑)
なんてったって 地球が「国土」なんだから

だから結局 経済にしても本質は「国家がこれの最大限」なのである
グローバル化は「うわべ」だけ

20 ナマエ:時世 1999/05/17 23:55:18
「平気」じゃなくて「兵器」・・・
21 ナマエ:魔王ランス 1999/05/18 00:31:43
いやぁ、第三世界(こういう言い方はマズいかな)での紛争だとまるで東側西側の兵器の見本市のようです。武器を売ってくれるのも西側、攻撃してくるのも西側。逆もまた然り。とくに武器商人に主義主張なんて関係ないようで、買ってくれるトコが客、ただそれだけ。それ以上もそれ以下の関係もない。売れればいいのよ、商人としては。もちろん全てに共通するワケじゃないけど、だいたいこのパターン。


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