[1:16] 弱将 栗田健男
1 ナマエ:田中 静壱 1999/7/2(金)03:01
逃げる栗田と言うのが通常の見解かと思われます。バタビア沖しかり、ミッドウェ−しかり。
バタビアでは、敵発見の報を受け敢然攻撃を決断した、第五水雷戦隊、原少将の「貴隊ノ位置ヲ知ラセレ度」
と言う連絡を無視し北方へ退却、一旦南下し第五水雷戦隊と合同するも、原少将の「貴隊ト合同シ当面ノ敵ヲ下撃破致シ度」
と言う信号を、またも無視し、一方的に「追撃ヲ止ム」と信号して、さっさと退却してしまった様です。
ミッドウェ−での栗田の行動は、弱将と言うよりも、もうこれは犯罪に等しいかと思います。最上、三隈の衝突も元々、栗田の弱将ぶりが
招いた事ですが、その後が問題です。事故を起こした両艦を現場に置き去りにし、自分は西に進路を取り遁走してしまったのです。
現場では、後から来た駆逐艦、朝潮や荒潮を含め、山本長官以下必死の救援活動を行っていたのですが、
その後も、度重なる合同命令も無視、この日から三日間全くの雲隠れです。全くやり切れません。

2 ナマエ:Merkatz 1999/7/2(金)06:57
うーむ。聞きしに勝る弱将ぶりですなあ。
しかし何故このような人物がとくに更迭されることもなく、
レイテの指揮を任されるに至ったのでしょうか。
いくらハンモックナンバーといっても役立たずに指揮官をさせるとは一体・・・。
3 ナマエ:西村祥治 1999/7/2(金)15:42
確か栗田中将は海大を卒業しておらず、所謂エリートコースにも乗って折らず、本人も長官にはなれるとは思っていなかったようです。
その意味では昔から花形の2F長官になったのはいれいのことだとはおもいますが、それならそれで栗田以上の勇将を持ってくればよかったのでは。
日本海軍の人事は何をしていたのか。
「レイテはあっちだ」(by宇垣纏)

4 ナマエ:ランス 1999/7/2(金)23:30
栗田中将はたんなる臆病者なのでしょうか。
自分の知識では、回りから確かに臆病と見られる行動が目立っていましたが、栗田は元々慎重な
性格であり、なおかつ、艦隊保全主義とでも言うのか(正式な呼称は忘れた)とにかく損害がで
るのを恐れていました。
これだけだとただの臆病者になりますが、もとより軍備とは戦わずして相手を威圧し
「ウチに攻めてきたら痛い目にあうぞ」
という阻止力が最大の目的だという説を栗田は信奉していたようです。

そのため彼は無意味な作戦で艦艇を失うのを恐れた・・と言えませんか?
この兆候は戦争中に幾度か見られます。

レイテ決戦は日本陸海軍の事実上の最終決戦であり、そこへ栗田をもっていったのがそもそもの
誤りであり、栗田を悪く言うよりはそれこそ序列制度に文句をつけるべきでしょう。
作戦的にも特攻に等しいものだし、こういう作戦には猛将をひっぱってくるべきだったです。
そうすれば敵の偽電に踊らされることもなく、ただただ突入をして、マッカーサーに小便ちびらせる
くらいの砲撃を橋頭堡にたたき込めた・・・かもしれない。

かもしれないというのは、ただ猪突猛進してたら、ハルぜーは徹底的に空襲を繰り返し、全艦海の藻屑
となっていたかもしれないからです。栗田が途中2度(?)反転したことによって、ハルぜーは
もう引き揚げたモノと勘違いし、囮である小沢機動部隊にまんまと誘い出されたのですから、まったく
どちらがよかった(栗田か猛将の誰かが指揮)のかわかりませんねぇ。

なんか、栗田擁護論みたいになったんで、最後に反対のことでも書いておきますか(笑)
レイテ決戦の際、栗田は旗艦を愛宕にしましたね。表向きの理由は重巡の方が身が軽くて指揮しやすい
とのことでしたが、これはどうみても、敵の攻撃が大和・武蔵に集中するから逃げたと後ろ指さされて
も仕方がないことです。
もっともバチが当たったのか、出撃の翌朝にはアッという間に愛宕・摩耶が潜水艦の待ち伏せで撃沈さ
れ、高雄は大破退却というていたらくでしたが・・・・。

5 ナマエ:田中 静壱 1999/7/4(日)00:50
以下は、小島 清文氏著「栗田艦隊」からの引用です。

艦橋にはすでに栗田長官以下その幕僚達が緊張した面もちで前方を睨んでいた。しかしこの時、
長官以下艦隊司令部の参謀達が防弾チョッキに身を固めていた事が、通信士の都築中尉には
ひどく気に入らなかった。このチョッキはどの艦隊でも司令部だけ員数はそろえてあり、
乗組員達には初めからその支給は無かった。都築中尉と田中大尉は、私がいる暗号室に入ってくるなり、
「艦隊司令部の奴らはだらしがないったら無い。長官以下みんな臆病風に吹かれて防弾チョッキなんかつけてやがる。
 うちの艦長だって宇垣司令官だってそんなものつけている者は一人も居ない!」
純白の軍装のまま防弾チョッキも身につけず、端然として座席に座っている宇垣戦隊司令官や森下艦長の落ち着き払った姿が、
将兵達の眼にいかにも心強く見え、頼り甲斐のある上官として彼らを勇気づけた事もまた事実であった。

この時の栗田中将は、ただの臆病者だと思います。
6 ナマエ:MUTI 1999/7/4(日)19:50
栗田中将が弱将であった、という説に私も賛成です。

 が、話題の内容が「**は無能だった」だけでは、
似たような状態になったとき、自分はそうしないよう他山の石にする、といった
個人道徳の教訓材料にしかならないと思います。

 もちろん、勇猛果敢に戦った人の敢闘精神に対し、敵・味方の区別なく敬意を払うことは
大事なことだと思います。(国際法等に従った「敢闘」でなければならないが。)
 「恥ずべき行為」、「卑怯な行い」をした人間をかえりみ、
「自分はこのような環境にあっても同じ様な行動をとらないようにする。」
とこころざすことも重要です。

 しかし、50年前の戦争から個人道徳だけを教訓として学ぶとしたら、それは、
なんというべきか、あまりにおそれおおく、もったいないように感じます。

 やはり、もうすでに皆さんが述べているように、この栗田中将等の件については、
指揮官としての能力・資質に大きな問題があるということが実戦で証明されている人に
どうして「中将」の位が与えられ、一個艦隊の艦と人命を
あずけてしまったのか、という点を忘れるわけにはいきません。

 もちろん私は、「栗田中将は、++と仲がよく人脈があって」等といった個人的な人脈の
話をするべきだといっているわけではありません。(それはそれで興味あるが。)

 ここでの最大の問題は、
問題行動・失敗を客観的な分析の対象にしないだけでなく、
その過ちを犯した人間が組織の中枢の一翼を担っていたり
(将来的に担うと認識されていたり)した際、大して罪を追求されず、
過去は不問になり、すぐに重要な責任を持つ立場に返り咲いてしまう制度・
システムにあるのではないでしょうか。

 これは陸軍・海軍共通の問題点でした。
そして、今日も、我が国につきまとった問題ではないでしょうか。

 このような組織がいかに発生・持続するのか。
 どのようにすればこの問題を解決し、再発させないようにすることができるのか。
 このことを考え、実行していくこと。
(もちろん、少しずつ、時には一時退却したっていい。)

 これがより、本当に意味で「あやまちをくりかえ」さないことなのだと思います。
 (もっとも、この台詞、刻んである場所に問題を感じてしまうが。)

 以上、MUTIの個人的な考え、感想です。長々と申し訳ございません。
7 ナマエ:野次馬三太郎 1999/7/5(月)19:03
「あやまちをくりかえ」さないこと
というコトバに過敏に反応してしまうのは、私だけでしょうかあ?

栗田中将ではなく、西村中将だったら壮絶な結果だったでしょう。
または、木村昌福少将とか山口多聞や田中頼三や吉川潔だったら・・・・・・・

IFの世界だけど。
8 ナマエ:今野 1999/7/9(金)17:09
栗田中将の開戦時に至る指揮の経歴は、一二駆逐隊司令/阿武隈艦長/水雷学校教頭/金剛艦長/一水戦司令官/四水戦司令官/七戦隊司令官です(当時の中将で、駆逐隊司令と水雷戦隊司令官2期というのはちょっと珍しいケースです)。これから見てもわかるように、栗田中将は水雷戦のエキスパートですので、乾坤一擲の海戦で第二艦隊司令長官のポストが回ってきたとしても不思議ではありません。履歴的に言えば最高の人事だったのではないでしょうか。 また、旗艦愛宕については、小柳参謀長の回想において、第二艦隊司令部が武蔵への変更を願い出て連合艦隊に却下されるという経緯があったと思いますので(巡洋艦旗艦は二艦隊の伝統である、一戦隊は二艦隊から分離して別個運用する腹案がある等の理由)、責任は連合艦隊の方にあります。
ま、もしifが許されるのなら、戦歴からして南西方面艦隊の三川中将あたりが適任なんですけれどね(また輸送船を撃ち漏らしそう……)。
9 ナマエ:西村祥治 1999/7/15(木)02:45
少し時期はずれですが、こんなのはどうです。
ここで2F長官に南雲を持ってくる。最後の艦隊決戦に水雷屋の勇将の神髄を発揮させよう。成功すれば大将進級の上GF長官、戦死しても大将、生きて負ければ予備役。指揮下に宇垣、西村の両提督を配して参謀に神大佐などのいけいけ型を配すれば、相乗効果間違い無し。但し、小沢部隊の指揮権は一義的には小沢が有することとする。(尤も、小沢3Fとは連絡困難でしょうから上席指揮官としてでしゃばることはないでしょう。)
西村部隊には三川中将を充てるとしよう。

10 ナマエ:MUTI  1999/7/19(月)01:16
「征途」と言う題の本をご存じでしょうか。
作者は佐藤大輔。全三巻。(だったはず。)
いま、手元にないので、出版社等はっきりしません。
(読売に援助される前の中央公論社だったかな?)
よくある、カッパブックスやワニブックスなどと同サイズの本です。

 私が知る限り、第二艦隊がレイテ湾につっこんだら、という仮想戦記物で、
この本が一番よくできています。

 もっとも、この「征途」シリーズ、主題は第二艦隊をレイテに突入させることではなく、
それによって変わった戦後を書くことにあります。

 レイテ湾でマッカーサーが戦死、日本占領軍の指揮官は、なんと、パットン。
そして、、、

と言うわけです。
 この佐藤大輔という作者、連載物の多くが未完のままですが、このシリーズは
完結しています。
 ひょっとすると、古本屋等を探さねば入手困難かもしれませんが、
みなさまの気に入るのではないかと思います。
では。

11 ナマエ:西村祥治 1999/7/19(月)11:27
「征途」は存じ上げませんが、佐藤大輔の名前はボードシミュレーションゲームの「レッドサン・ブラッククロス」の作者として存じております。そしてそのゲームが私の知る限り、日本初のバーチャル戦記もののシミュレーションゲームであったと記憶しています。
ちなみにそのゲームはインド亜大陸で、第2次大戦の「勝者」である日独が激突するものでした。かれこれ、15、6年前のことです。
12 ナマエ:MUTI 1999/7/20(火)15:33
西村祥治さんへ。
 おお、「赤マル黒ペケ」をご存じでしたか。
戦友、同志、カマラーデ、タワリシチ。(^_^;)

両親が捨てていなければ実家のどこかにあるはずです。
当時のわたし、ボードシミュレーションウォーゲームのコレクターもどきと
化していまして、このゲームもプレイはしていません。

 時が過ぎ、コンピュータゲームの全盛期となり、シミュレーションボードゲームは
ほぼ消滅してしまいましたが、シミュレーションボードゲームにはコンピュータゲームと
違った良さがありました。

 システムがマニュアルを読んだプレイヤー各自の頭の中にあること。
合意さえ得れば、「アメ公の作ったゲームは零戦の戦闘力が低い。倍にしよう。」
といったことが簡単でした。(大抵、猫族のグラマンF4と同じだったからなあ。)
もっとも、システムの解釈がプレイヤーにより異なっていて、
解決のため、乏しい戦史知識を動員なんてこともありましたが。

 そして、狭い画面でなく、地図を使ったことによる一覧性の良さ。
一駒=一個師団のクラスの独ソ戦キャンペーンゲームなぞ、四畳半〜六畳の部屋いっぱいに
地図を広げ、数百個の駒を開始位置に配置するだけで半日かかりました。
が、あの壮観な眺めは、自分で駒を並べた人間にしか得られぬ感覚的な戦史知識を
与えてくれたような気がします。人数だけで比較すれば、現在の我が国の陸上戦力など、
駒十数個分、ルーマニア軍程度なのです。

 さて、佐藤大輔氏、仮想戦記物やSF等いろいろ書いています。
「レッドサン・ブラッククロス」も、徳間文庫で出ています。
(何冊目だったかな、現在中断しています。)
 仮想戦記物の世界はピンからキリまで極端な質の差があります。
その点、佐藤大輔の著作は、孔明が二千年の時を越えて連合艦隊に天下ったら、
それだけで射撃の命中率が百発百中になる、等という世界の対局、
もっともよくできた質の高い著作を出す人の一人だと思います。
(もちろん、完璧ではありませんが。)

 ただ、それだけに、未完である作品の多さ、どうも、佐藤大輔氏、
「組織・集団としての日本人の限界」みたいな物にぶつかっているんではないか
と思うのです。

 では。MUTIより。
13 ナマエ:西村祥治 1999/7/21(水)11:11
師団級の作戦級で4.5から6畳ですか。
確かに一覧性はよいのですが、「第2次欧州大戦」では、京間の10畳くらい必要になり、結局、全体シナリオはできませんでした。(そういえば、旅館に泊まって「第2次欧州大戦」をやろうという企画がありました。:ホビージャパンから発行されていた「タクティクス」という雑誌はご存知ですよね。)

ちなみに、余談ですが、ジェームズFダニガンの著書「戦争のテクノロジー:原題How to make a war」では、さすがに各種兵器の戦力が数値化された表がありました。

14 ナマエ:MUTI 1999/7/25(日)22:08
すみません。「征途」、トクマノベルズでした。大和が好きな方、おすすめです。

 「第二次欧州大戦」、ソロで部分シナリオをやってみたことがあります。
 1940年フランス戦でおかしな部分が発生。
イギリス軍の戦闘力が異常に高い。ノルマンディー以降の戦力を
基準にしているためでしょう。キャンペーンの亊を考えると
途中で駒の戦力をかえるシステム(補給面が関係してこざるを得ない)
にする訳にもいかず、こうなったか。
 したがって、北アフリカの戦いは、全然機能せず。
第一次大戦のような膠着戦。
 独ソ戦は補給システムが完全にだめ。1941年、スモレンスク
あたりでストッブ。

 戦闘の様相が途中で大きく変わる戦いを、一つのシステムで
網羅しようとすることの困難さが実感できました。

15 ナマエ:はにわはに丸 1999/7/31(土)02:51
弱将ともいわれ臆病者の代名詞ともなっている栗田中将が何故この地位についたのか。
私は海軍における『擬似家族的組織』の特徴が一因ではないかと思っております。
陸軍の場合、この特徴は派閥争いの一因でしたが
海軍では人事面での甘さ(能力・キャリア無関係に要職につける)にあるのではないでしょうか。
コネや人脈的つながりではなく海軍全体が軍人に対して母親的愛情を持ってしまった、
と解釈しております。
(ちなみに陸軍は近親憎悪と言うべきものが感じられます)
たとえ個人的に臆病であっても要職によっては彼の評価は百八十度かわっていたかもしれませんね。
・・・戦争に勝てるかどうかは置いといて。

長々と駄文、失礼致しました。
気を悪くされた方、申し訳ございません。
16 ナマエ:ランス 1999/7/31(土)03:55
序列人事(ハンモックナンバー)については当ページ内の「大東亜戦争小話」をどうぞ。

以上、宣伝でしたー(^^;


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