[1:5] 次のお題は?
1 ナマエ:野次馬三太郎 1999/7/8(木)20:13
おまちしています。同士の皆様。
2 ナマエ:ランス 1999/7/8(木)23:21
明日、ある講義の試験です。
その講義は戦前の日中関係を取り扱っているものなので、テスト問題をそのままここに掲載して
皆さんの模範解答をたまわりたいなぁーなんて思ってます。

けっこう、面白い話題になりそうなんだけど・・・・。

(例)満州事変が発生した理由を当時の国情を鑑みて論じよ。

こんな問題かな・・?
まぁもちろん正解なんてないんだから、それぞれ持論を展開することになると先生も言ってます
し、俺もトコトン書きまくりたいです。
で、他の人はどんなこと書いてるのかなんてわかるわけないんで(わかったらカンニングだよね)
この場をもって他の人の意見を知りたい・・・と思います。

ともかく問題見てみないと・・・
・・

しかしテスト勉強って何をすればいいんだろうなぁ(^^;

3 ナマエ:野次馬三太郎 1999/7/9(金)21:42
>(例)満州事変が発生した理由を当時の国情を鑑みて論じよ。

では、私の怪答です。

満州事変の遠因たる日露戦争は、国策たる南下政策に基づくロシアの覇権主義を
我が国が国運を賭して戦った戦争である。
その結果当時満州に権益を有していたロシアから、条約により譲り受けた日本が、
その権益を死守することは当時の国際情勢下で当然のことであった。

第一次大戦後、列強各国−特にアメリカ−から
ワシントン・ロンドン軍縮会議やアメリカの排日移民法などの圧迫を受け続けた
日本は、当時起こった世界恐慌の余波もあり、非常に微妙な立場を迎えること
となった。

一方支那では張作霖が中心となって排外運動が盛んとなったが、特にその矛先
となったのが日本で、在満朝鮮人迫害事件(万宝山事件)や、中村震太郎大尉
殺害事件などの事件が勃発、治安維持のために駐屯していた関東軍の危機意識が
高まった。
そしてついには武力発動となるに至った。

しかし日本政府は慎重であり、現地の関東軍とは意識の上で大きな隔たりが
あったことは注意すべき点である。


**んんんん・・・・60点だなぁ。**

4 ナマエ:ランス 1999/7/9(金)23:15
今日試験受けてきました。
さて、問題は

「満州事変前後の日本の対外政策について」論ぜよ

です。
例題に近いですね、ヤマが大当たりというとこですか。
誰か挑戦してみません?(^^;

まぁ大学の試験とはこんな問題を出すということです。
これから大学へ進む、時世君やMM君、どうかな?
出来たら単位貰えるぞー。
多分君らなら造作もないことだろうけどね。

解答レスお待ちしてます(笑)

ちなみに俺の解答はみんな書くことなく悩んでいた中(というのもこの講義200人程が受講して
るハズなのに普段の講義には50人前後しか来てなかったからまぁ当然か)ズラズラと書きまくった
んで覚えてないです。

先の野次馬三太郎氏の答えにあるように、万宝山事件、中村震太郎大尉事件も書きました。

流れとしては維新以来日本は後進国であるために新たな植民地獲得がえらく困難で、どっかに
進出すれば必ず他の列強諸国の利害と対立する複雑な環境にあったとか云々で初めて、満州事変
への道を説いて、さらにその後中国にのめりこんだ過程を簡単に書きました。

陸軍部内は永田鉄山の「対中一撃論」の雰囲気が蔓延し、永田の死後もずっとこの空気は入れ替えら
れることなく、15年戦争へと進んでいった・・と講義でもやってないことまでも書いてしまい
長ったらしくなってしまった。

さらに最後のまとめに満蒙は帝国の生命線であったという満蒙領有論を肯定する意見を連ね、左翼
側の先生だったら間違いなく落とされるであろう内容の解答に仕上がった。

うーん、この先生はどっち寄りなんだろう、わからん。
講義ではいつも学会の多数説を言うんで、なかなか持論を伺う機会がないなー。
願わくば、左翼陣営でないことを祈る・・・。
あんなに頑張って書いたのに単位落とされたらたまったもんじゃないしなぁ。
歴史論というものに正解なんてないんだから大丈夫だろうとは思うけど・・・。
5 ナマエ:MM 1999/7/11(日)23:10
すいません、ムリです。 ←死
まだまだ知識はメッチャ浅いんです、、、、。

だって公民のテスト50点軽く切ったもの・・・。
受験でも社会は危ういんです。っていうか俺は高校受験っす。

本格的に歴史を勉強するのは高校に入ってからっす。
はぁ・・・受験とか言ってチョーめんどくせぇ・・・。


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