[1:11] 怒らないで下さいね・・・
1 ナマエ:MM 1999/7/14(水)22:55
今日学校の図書室に『太平洋戦争がなんたらかんたら〜』って言う
写真がいっぱい載ってる本を読んで見たんですが、
『うわぁ・・・すっげぇ』って感じでした。

東条英機元首相の拳銃自殺未遂直後の写真とか、
マッカーサー元帥と天皇陛下の2ショット写真とか、
空襲後の東京の写真とか、チョコレートやってるGHQの写真とか、
天皇陛下の地方巡業の写真とか。

なんか天皇陛下がウチの学校のブサイクナルシーにそっくりだったから、なんか半泣き・・・。
明治天皇めちゃめちゃかっこ良かったのに・・・。
『朕はタラフク食っとるぞ』は罪悪感感じたけど笑っちゃいました。

もっとキリッとした顔だと思ったのに・・・、しまりが全然無かったです。

2 ナマエ:ランス 1999/7/14(水)23:21
マッカーサーと昭和天皇のツーショット写真というと、昭和天皇が直立してるのに対し
マッカーサーはズボンに手を突っ込み、コーンパイプ加えて横柄な態度をとってるアレですか。

あれが、一国の皇族に対する態度か?
敗戦国の・・とはいえ、それくらい配慮できんのかのぉ。
3 ナマエ:MUTI 1999/7/15(木)01:28
MMさんへ。わたくし、MUTIと言います。よろしく。

 さて、いきなりですが、質問させていただきます。
(脅し、脅迫ではありません。ご安心を。)

 あなたは、「鼓腹撃壌(こふくげきじょう)」という四字熟語をご存じでしょうか。

 おそらく、ごぞんじあるまい、と勝手に独断で判断し、説明させていただきます。
スミマセン (。_゚☆\ バキ
ご存じでしたら、以下の私の文章、ご笑納ください。


*「鼓腹撃壌(こふくげきじょう)」

 この、四字の漢字、「腹づつみをうち、足で地面を踏みならす」という意味で、
生活に満足して踊っている様子を表現しています。
 しかし、熟語である以上、それだけではなく、
背後に昔のチャイナの物語があります。(以下、十八史略から、部分を私訳。)
 
 あるとき帝が、おしのびで民衆の様子をごらんになった。

 ある老人が、腹一杯食べ満足し(=腹づつみをうち)、
うかれて踊って(=足で地面を踏みならす)、歌っていた。
その歌の内容は、
「毎日ふつうに生活すれば、当たり前に満足した生活ができる。
陛下のお力なんぞ、俺にはなんの関係もない。」
というものでした。

 帝はそれを見、歌の内容を知って、
「ああ、私の政治はうまくいっている。」
と満足されたそうです。


 まもなく終わろうとしているこの二十世紀。
この百年間ほど、世界の数多くの人々が自国・他国の元首・支配者・独裁者をほめたたえた
時代はないのでは?

 政治の世界は結果責任です。

 昭和二十年八月十五日。
このとき、昭和天皇は44歳でした。(このときマッカーサーは何歳?)
玉音放送をきき、その意味を理解した、ある老婆が泣きながらいったそうです。
「陛下は、この国をこんなにして、明治様に、なんとおわびをするのか。」
 文明開化を、日清・日露の戦勝を、うら若き乙女の頃に体験したこの女性は
焼け野原を前に、明治帝との比較をせずにはいられなかったのでしょう。

 そして昭和六十四年、昭和天皇は「鼓腹撃壌」している日本からお隠れになられました。


 今の北朝鮮のことを「戦前の日本のようだ」と表現する人がいます。
朝鮮戦争から五十年になろうとしているこの国に、
自国の指導者の偉大さを強く主張しない人は(公的には)一人もいません。

 いったい、どこが違ったのでしょうか。どうしてこうなったのでしょうか。


 長々と、とりとめのないことを書いてしまい、すみません。
では。  MUTIより。

4 ナマエ:野次馬三太郎 1999/7/15(木)09:36
・・・・とは言え、私も子供のころはそう思いましたネ。(苦笑)
でも、あまり書いてはイカンよ。心の中に留めておきましょう。

>なんか天皇陛下がウチの学校のブサイクナルシーにそっくりだったから、なんか半泣き・・・。
>明治天皇めちゃめちゃかっこ良かったのに・・・。
>『朕はタラフク食っとるぞ』は罪悪感感じたけど笑っちゃいました。

よく、昔の左翼プロパガンダとして使用される言葉ですが、
実際の戦時中の食料不足は、皇室も同じだったようです。

フランス革命やロシア革命の頃の王朝と違って、‘常に皇室は国民と共に在る’
のが日本の国体ですから、♪〜臣民我ら〜♪と遊離した考え
−−例えば、国民が苦労されている時、享楽の中にいる−−
といった事態は有り得ないでしょう。

万々が一、そんな状況であれば、皇室は打倒されるか、亡命して
日本は共和制になっていたでしょう。
世界各国の趨勢を見ても明らかです。
5 ナマエ:西村祥治 1999/7/15(木)11:33
確かに、先の大戦レベルの敗戦を乗り越えた王朝はほぼ皆無でしょう。
近代までなら征服されているでしょうし、近代以降は民主制か別王朝が立っているでしょう。
この辺りは小室直樹の「天皇恐るべし」、「昭和天皇の奇跡(ひょっとすると悲劇)」を参考にして下さい。
6 ナマエ:MM 1999/7/15(木)21:17
皆さんすいません、今度はちゃんと気をつけて書き込むようにします。(泣)

MUTIさんはじめまして、鼓腹撃壌の話かなり感動しました。
ちょっと時間が無いのでレス簡単ですけど許してください。ほんとにすいません。

昭和天皇陛下については全く知らないので、今度ちゃんと調べてみようと思います。
7 ナマエ:野次馬三太郎 1999/7/16(金)09:28
ハハハ・・・・  笑っちゃいかんかなぁ。

文献を多数読まれて、賢明なる「小国民」いや中国民?となられるよう希望します。
中国民じゃ、へんだな \(‥)/
8 ナマエ:MUTI 1999/7/19(月)02:44
MMさんへ。MUTIです。
 こう、丁寧に、あやまっていただくと、こちらもどう返事をさせていただいたらよいか、、、

 ここで、「これからは陛下の赤子として共に勤王にはげもう。」
とかいって終わらせてしまうわけにはいかない問題がここにはあります。

 というのは、私の書いた文章が、「この亊について発言してはまずい」
といった、変な空気をつくってしまったんではないか、と心配するからなのです。

 右翼はもちろん、左翼もふくめて、日本では政治について考えると
「純粋まっすぐ」になってしまいがちです。
 そして、そういう人々は、発想にゆとりがなくなります。

 かつて、2.26事件を起こした青年将校がいます。
彼らの日本を心配する動機は、「純粋」だったでしょう。
彼らは天皇の周りの悪い政治家を排除すれば、新時代の幕開けになる、
と考えていました。
 しかし、当の天皇陛下自身が物事を考え、そしてその思考が青年将校の
発想と大きく違っている可能性を考えても見ませんでした。
 彼らは、鎮圧され、自分らの行動が成功しなかった最大の原因の一つが
昭和天皇自身の意思表明であったことをしり、
猛烈に怒り、恨みます。


 村上兵衛という評論家がいます。この方は、第二次大戦最後の年、
近衛第二歩兵連隊の連隊旗手をつとめた方です。以下の「」内の文は
この評論家の文章をうろ覚えにしているMUTIが抜粋・要約したものです。

「 南方の戦闘の様子が詳しく伝わってくる。
 米軍は明日にでも、この関東に上陸してくるかもしれない。
 が、米軍の大量物量と、機械力を前に、「人間的」な戦闘法が
 存在しないことは誰の目にも明らかな状態。

  戦闘開始直後はまだしも、時間がたてばどうなるか。
 米軍装備に、ある程度有効な新装備の弾が切れ、部品の予備がなくなり、
 多数に無勢でやられてしまえば、もう後は肉弾。
 やってくる米軍戦車の下に爆弾を抱えて自爆するしかない。
 これだって、敵の銃火の前、うまくいく可能性の方が少ない。

  こういった絶望的な戦闘を自ら行うだけでなく、部下にさせねばならない。」

 この苦悩に村上氏は、正面から取り組みました。なやみ、苦しんで、
「天皇陛下のため」という言葉を信じ込むことにより、解脱した気持ちになったそうです。
どんな重い装備をもってどんなに行進しても疲れない状態、本人曰く、
「信仰一歩手前の状態」になったと。
 が、ある日、連隊旗手として昭和天皇に敬礼をする機会がやってきました。
陛下の答礼を見たとき、我々の言葉で言えば、「がくっとなった」そうです。

 運動神経のない、きまらない答礼。

戦後だいぶたって、自分が勝手に陛下の理想像をこしらえあげ、
自分で勝手にそれに夢中になり、
現実の陛下が、自分の理想と違うから、といってがっかりしたり、
憤慨したりしていた自分、というものに気づいたそうです。

 民主制で選ばれる政治家は、国民の人気をいかにうるかに熱心です。
TV映りに気をつかい、化粧し、気の利いたちょっとした台詞がポイントになります。
が、その人が真に有能な政治家であることと、TV映りとの間に
どれだけ関係があるのでしょう。
 我々選挙民は、我々が投票し、選んだ人間が、我々の似姿であることを、
我々の欲望の鏡であることを、よく忘れます。

 昭和天皇は、TVという手段によって、全国民がその姿を目の当たりにした
最初の天皇です。
 あのしゃべり方、あの歩み方、なんというか、非常にぎこちない物でした。
正直に言います。私、昭和39年生まれ(1964年)ですが、私が
小学校低学年の時に、利口ぶった同級生が、「天皇陛下白痴・カタワ説」を
喧伝していました。私の同世代以上の中には、今でもその話の幾分かを
信じている人もいます。
なるぺく、変な先入観抜きで物事をみるようにしたとき、
その同級生が、自分の心の中のもやもやした部分を、陛下を題材にし
発散していたことが感覚的にわかったのですが。

 あの歩み方、あのお言葉、まさに俗人とはかけ離れたお方でした。
9 ナマエ:ランス 1999/7/19(月)23:21
> かつて、2.26事件を起こした青年将校がいます。
>彼らの日本を心配する動機は、「純粋」だったでしょう。
>彼らは天皇の周りの悪い政治家を排除すれば、新時代の幕開けになる、
>と考えていました。

ついでに付け加えるならば、当時の農村の悲惨な状態を大いに憂いたのも純粋な気持ちからでしょう。
部下の兵(ほとんどが農村出身、というのも軍部は足腰が頑健な農村部の人間を好んだから)が
「姉は・・・」
「妹は・・・」
と涙ながら家庭を語るのに、青年将校はこんな世の中は我慢ならんと考えたのでしょう。
10 ナマエ:MM 1999/7/27(火)17:03
レス遅れました、すいません。

>MUTIさん
言いたいことは大体ですが分かった気がします。
色々教えてくれてありがとうございました。

それと、最近宮内庁のHPで昭和天皇陛下の写真見てみたんですが、
なんか印象が全然違いました。

いかにも『厳格』って感じで敗戦時の時とは全然違ってて、
よくわかんないけど「すげぇなぁ」って思いました。
やはり戦後に色々あったんでしょうか。
11 ナマエ:旗御飯/鐡扇會 1999/7/29(木)05:00
はじめまして
鐡扇會で旗持ってる旗御飯です

昭和50年だったかに先帝陛下が御訪米なさったときに
ニューヨークのJFK空港で現地の邦人の子供がほぼ全員
(あ、昔だから大した数じゃないぞ)日の丸持ってお迎え
して、僕もいたんだけど、そしたら陛下はこっちを向いて莞爾と
笑われて、例のあの独特のスタイルで御手を振られてね。それ
見たときなんだか本能的に神々しいものを感じましたよ。

アメリカの学校とかでヒトラーと同列に並べて軍国主義の独裁者
みたいに教えられてて悔しい思いをしてたけど、そん時には
「そーらみろ、やっぱり日本の天皇陛下は絶対に偉い人だ」って
確信持ったもんです。

あ、よければみなさん祝日には日の丸揚げて下さいね。
http://members.xoom.com/yasukuni


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