[1:10] 戦時下の英語教育
1 ナマエ:山本五十六参謀長 1999/08/18(Wed) 13:55:32
陸軍などでは英語を禁止した。
海軍の兵学校でも英語廃止になりかけたが、井上校長がそれを
許さず、英語教育が続けられた。
自分が思うに英語はが使えずにアメリカなどと戦っても、勝ち目はないと思う。
皆さんはどう思いますか
2 ナマエ:野次馬三太郎 1999/08/18(Wed) 15:19:05
古来より、敵を知ることは戦いに勝つための第一歩でしょう。
にも拘わらず、
『陸助』とか『馬糞』と(海軍から)嘲笑された陸軍だけでなく、
進歩派といわれている海軍ですらそんな調子では全く話しになりません。

また、矛盾するのは図上ではGF=連合艦隊、P=工兵、D=師団 といった
英語を元とする符号が戦中でも使われていた、ということです。
さらには、作戦名称『AF作戦』とか戦時標準船(多分)の区分にも
英語(正しくは単語)が使われていることも一貫性がなくて意味不明です。

まあ、今日の自衛隊のように横文字が必要以上に横行するのもどうかと思いますけどね。
3 ナマエ:ランス 1999/08/18(Wed) 23:21:24
海軍はイギリス海軍を手本としてきたわけですから、英語教育は当然のものでした。正当なキングスイングリッシュを話す士官も結構居たようです。

軍隊生活においても英語ではないにしろ外来語はそこらで使われていました。
例えば階段をラッタル(オランダ語?)と呼んだり、慰安所のことをプロスティテュートの頭文字とってP屋と呼んだりしてました。

また陸軍幼年学校でも戦争末期になってから英語教育始めているのを考えると一概に「敵性語廃止」とは言えないみたいですね。

4 ナマエ:田中 静壱 1999/08/19(Thu) 01:31:02
元来陸軍の仮想的国はソビエトだったので英語は軽視されたのか?ならば帝国陸軍の士官の殆どがロシア語が話せたのかと問われれば、否と言わざるお得ない。
陸軍はノモンハン事件以前は相等対ソ戦に自信が有った様だけれど、もしそう言う事ならお寒い限りの自信と言う事になる。
陸軍で、有名な処では本間中将が英語OKだったと思う、陣中でも英国の小説を読んでいた様ですね。
5 ナマエ:田中 静壱 1999/08/19(Thu) 22:58:35
ちょっと無理が有ったか、アメリカ軍の士官の殆どが日本語話せた筈もないしな、先の投稿はちょっと不適切だったと思うので適当に読み流して下さい。
6 ナマエ:田村清次郎 1999/08/20(Fri) 00:52:37
それは考え方による。
ただ、活路を見いだすだけの価値のあるものと判断するなら
ば、それもひとつの手段として有効かもしれないが、それが
戦争の劣勢を抑止するにつながるかといえば、基本的には
なり得ない。だからなんともいえない。
7 ナマエ:愛国小僧 1999/08/20(Fri) 02:16:40
英語が使えるかどうかと戦争の帰趨とは全く関係がないでしょう。
現在ならばいざ知らず、当時の国際情勢で英語を禁止した心情というのは十分理解できます。現代の「米国占領下の日本」では、戦中の全ての政策が間違っており、それらが敗北に結びついたように言われますが、それは大きな間違いです。
例えば、「米国の物量に負けた」、「科学力に負けた」等がそれですが、科学力などは当時のドイツの方が勝っていましたし、物量だけではなく全ての面で米国よりも遥かに劣るベトナムがベトナム戦争で事実上勝利しました。
では、一体何が大きな要素になるかというと政治家の駆け引き、国際的なプロパガンダなのです。「ある程度、負けていない」という状態で持ちこたえている間に講和の駆け引きや第3国でのPRを行うのです。大東亜戦争では、蒋介石夫人が米国を訪問し、大々的な反日キャンペーンを行い、「真珠湾を忘れるな」のスローガンと共に大成功を収めました。逆にベトナム戦争時には、米国内で大きな反戦運動が起こり、有名人が北ベトナムに招待されて宣伝に利用されるという事態でした。わが国の場合は、大勝利に終わっていた昭和17年末の時点で講和を結ぶべきであって、その機会を逸した当時の政治家たちの責任は大きいと言わざるを得ません。

8 ナマエ:ランス 1999/08/20(Fri) 04:34:45
愛国小僧さんのご意見に賛同です。
ただ、当時の国政を牛耳ってたのが軍部でしたからね、政治家の責任というより、大本営の判断が悪かったと言えます。
徹底攻勢を主張する少壮幕僚(陸海軍問わず)の鼻息の前に、将官と言えども安易に「講和」を主張できないあの空気がいけない。
いつの世界でも正論は退けられてしまうものなんですね・・・。

せめてミッドウェーで敗北した時点で目を覚まして欲しかった。
9 ナマエ:Merkatz 1999/08/22(Sun) 00:51:32
敵性言語禁止って昭和18年からだそうですね。
たったの二年。多分に精神論の延長の匂いがします。
日本は「言霊の国」ですから、英語をしゃべることは敵の勝利を願うことに
なるとでも考えたのでしょうね。
戦局が苦しくなった頃から始まったというのも
それを暗示しているように思えます。

10 ナマエ:西村祥治 1999/08/31(Tue) 17:38:02
話は横に逸れますが、本間中将は「バターン死の行進」の責任を取らされて(マッカーサーの復讐の為)捕虜虐待の罪で死刑にされたそうです。
 昔のリーダーズ・ダイジェストで読みましたが、中将は人徳があり、奥さんが裁判の証言で「私は本間雅晴の妻である事を誇りに思います」と証言し、弁護人(感心するのは、米国人の弁護人でもきちんと立場で仕事をする人もいるという事です)も無罪を信じていたそうなのですが、結局死刑(銃殺刑)になったそうです。

 本題の英語教育については、可能であれば、素養教育として行うべきでしたでしょうし、必要な、英語の専門家を養成すべきだったのでしょうというありきたりの結論しか思い浮かびません。

合掌


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