[1:25] 秦郁彦先生とは。
1 ナマエ:れっく 2000/01/08(Sat) 23:51:35
 秦郁彦(はたいくひこ) 1932(昭和7)年、山口県生まれ。東京大学法学部卒(専攻・日本近現代史)法学博士。ハーバード大学及びコロンビア大学留学。大蔵省財政史室長、参事官を経て、防衛庁防衛研究所へ。プリンストン大学客員教授、拓殖大学、千葉大学を経て現在は日本大学法学部教授。新しい歴史教科書をつくる会の賛同者でもある。家永教科書裁判では国側証人として出廷。
 戦前・戦後の歴史を、精密な実証によって再検討。論拠の希薄な自己正当化の歴史観にも、ひたすら戦前を悪とする自虐的な歴史観にも与しない強靭な歴史像を提示する。歴史家として数多くの論争を行なってきたが、最近は慰安婦問題に関して、自らの実証的研究がクマラスワミ国連特別報告官により歪められて日本糾弾に使われたことに抗議。また、南京事件問題については、「大虐殺派」も「まぼろし派」も論拠薄弱として、可能なかぎりの証言・資料から算定した「犠牲者は約四万人」との暫定的説を立てている。
 日中戦争は日本に3割の分があり、日米戦争では4割の分があるとする。
 いつも冷静ではあるが、論敵をを批判する時は相手を馬鹿にしたような書き方をよく使う。年中タバコを吸っている(わたしゃの記憶ではホープ)。「三度の飯より歴史とタバコ」で有名。
2 ナマエ:ランス/鐵扇會  2000/01/09(Sun) 23:08:33
れっくさん、わざわざありがとう御座います。
これはもう是非本を読まなくてはいけませんね。

しかし・・
ただいま、病床(単なるカゼ)にて読んでいるのは、帰省中に古本屋で買った「総力戦研究所」(森松俊夫 著)
「戦後民主主義の幻想」(藤井厳喜 著)
です。
これ読み終わったら本屋に探しにいきます。
3 ナマエ:Merkatz 2000/01/11(Tue) 07:03:38
個人的な感想を言うなら、秦教授は嫌いです。
事実無根のことはしっかりと見極めるという態度はいいのですが、
根底に日本は悪であったという認識が垣間見え、逆算の論理で結論を出しているのではと思えるようなときがあるからです。
秦教授の先の戦争は日本に3割の理があるという主張は、逆に言えば7割は悪ということですからね。
もっとも私が読んだ著作は「現代史の争点」だけですので、今度「昭和史の謎を追う」も読んでみようと思います。

4 ナマエ:れっく 2000/01/12(Wed) 00:08:55
そうですか・・・。秦先生がお嫌いですか。まあ、わたしゃの知り合いでも、秦先生をあまり好んでいない人が結構いますから(笑)。ただ、日中戦争についていえば、秦先生のおっしゃっていることが妥当なような気がわたしゃにはします(いろいろな考え方がありますが)。
 余談となりますが、秦先生は棘ののある文章をよく書かれますが、実際はやさしい先生で、分かりやすく話をしてくれる方です。

5 ナマエ:野次馬三等兵 2000/01/12(Wed) 10:54:51
局長!
「総力戦研究所」(森松俊夫 著)
出版社を教えてください。 
以前探しましたが、見つからなくて。文庫本でもあったような。

それから
日中戦争など歴史上発生していません。
支那事変です。  
これは結構重要です。単なる呼び名の問題じゃありません。
6 ナマエ:ランス/鐵扇會 2000/01/12(Wed) 23:54:34
>支那事変です。  
>これは結構重要です。単なる呼び名の問題じゃありません。

ですね、戦争じゃないから戦時国際法は適用除外であるとかいろいろ議論の的になる重要問題です。

さて、総力戦研究所の出版社名は「白帝社」です。
ISBN4-89174-009-4 C0020 (いちおうコード名)
総力戦研究所はやはり現代でも必要ですな。
この研究所の目的が研究と人材育成というところがいい。
当時、将来を担う有能な若者がここで教育を受けた。
そしてその成果は戦後の飛躍的な(経済)発展という形で実を結び、研究所の目的の一つは達成されたというところに大いに頷きました。

7 ナマエ:れっく 2000/01/13(Thu) 01:46:42
名称の問題ですか・・・。確かに当時は「事変」という名称が使用されましたが、あれだけの規模で行われたものに「事変」を使用するのは中立法云々以前に、なんとなく後ろめたい気がするのです(私見です)。「戦争」の方が正しいというより分かりやすいし、また、実質を表していると考えます。もちろん「支那事変」「日華事変」を使われる方の意見は尊重致しますし、当時の名称も大切だと思います。

8 ナマエ:野次馬三等兵 2000/01/13(Thu) 11:35:40
局長
情報ありがとう!
ぼちぼち就職活動では?

なぜ、「戦争」ではなく、「事変」であったのか・・・

これは、日本も支那側(のちの重慶政権)も
なんとか局地紛争に事態を留め、
お互い和平への道を模索していたからです。

ですから、事変の当初は
日本と支那の間の外交関係は断絶していませんでした。

まあ、結果的には局地戦どころか、大陸深くまで進む
「ドロ沼状態」になってしまいましたけどね。
少なくとの政府の意向としては沈静化を図りたかったのです。

9 ナマエ:れっく 2000/01/14(Fri) 17:32:48
議論を続けるのは本意ではないのですが、再度、御発言がございましたので回答させて頂きます。
 確かにトラウトマン工作に代表される和平交作が進められていたことは事実ですが、戦線を拡大していたのもまた事実であります。上海戦以降、全面戦争に突入したのにもかかわらず「事変」で押し通したのは、和平の模索というよりは、アメリカの中立法適用を避けるためだったのではないでしょうか(わたしゃの勉強不足かもしれませんが・・・。)。
 前述したように、あれだけの規模で戦闘が行われたのであるのだから、やはりわたしゃとしては「日中戦争」を使用する方が実質を表していると思えるわけです。但し、これも繰り返しで恐縮ですが、「支那事変」「日華事変」を使用される方の意見は尊重します。
10 ナマエ:西村祥治 2000/02/02(Wed) 16:18:59
 「事変」と「戦争」ですが、かつて、国際法上「戦争」(=戦時国際法の適用)は宣戦等による当事国(全てでなくても可)の「戦意」の表明することによって成立する法状態を指したようです。
 この為、「局地紛争に事態を留め、お互い和平への道を模索」(日華両国の事情)、「中立法の縛り」(米国の事情)ということからどの国も「戦時」という状態を欲しなかったことから「事変」という一見奇妙な呼び名が成立したのです。
11 ナマエ:れっく♪ 2000/02/03(Thu) 06:55:58
西村さん、はじめまして。わたしゃは、当時、日本で支那事変という名称が
使われた事をとやかく言っているのではありません。当時の名称を変更せよと
言っているのでもありません。かなり客観的に当時の様子が分かる現在におい
て、はたして、日中双方の戦いを、事変という名称で当時のまま捉えて良いの
だろうかという素朴な疑問が浮かんだわけです。確かに、形式的には「事変」
でしたが、実質的には「戦争」以外のなにものでもないと思われるのです。

12 ナマエ:西村祥治 2000/02/03(Thu) 10:36:23
私もとやかく言うつもりはないのですが、当時「戦争」という語にはそのような特殊な意味が含まれていたということを申し上げたまでです。
 其の背景をご存知であれば、「戦争」でも「事変」でもお好きな方をお使い下さい、若し、ご存知でなければ、「事変」という語にはそのような背景があるということをお含み置き下さいという趣旨です。それ以上でもそれ以下でもありません。

13 ナマエ:れっく♪  2000/02/04(Fri) 01:25:51
西村さん、ご意見ありがとうございます。わたしゃも、日中双方の戦いが国際
法上の「戦争」でないことは承知しております。ただ、わたしゃが言っているの
は、国際法の話ではなく、教科書に記載する際や、現代において通常、我々があの日中の戦いをなんと総称すべきかと考えた時に、「支那事変」ではどうしても
腑に落ちないのです。あれだけの規模で戦いが行われたのであるから、現在の通
称は日中戦争が妥当ではないかと思われるのです。

 教科書に記載する際は、本文で「日中戦争」を使用し、欄外の注で「当時は
支那事変と呼ばれ、国際法上の戦争ではなかった」という記述をするのはいかが
でしょうか。


14 ナマエ:ランス 2000/02/04(Fri) 03:04:58
>本文で「日中戦争」を使用し、欄外の注で「当時は支那事変と呼ばれ、国際法上>の戦争ではなかった」という記述をするのはいかが

逆はどうでしょう。
つまり本文で「支那(日華)事変」と呼び、脚注で「事変ではあるがその規模は戦争と言えるほどのものだった」
というような。

やはり戦争と事変はキッカリと区別つけるべきかと思いますが・・・。
どうでしょう?
15 ナマエ:野次馬三等兵 2000/02/04(Fri) 09:18:18
「戦争」という名称もさることながら、日中というものおかしい。
中国では何を指すのかわかりません。
どうしても「戦争」という名称に拘泥するならば
日支戦争と呼ぶべきでは?
16 ナマエ:れっく♪ 2000/02/06(Sun) 05:36:09
ランスさん、必ずやそういう意見が出ると思っていました(笑)。国際法上での
意味で教科書に記載、あるいは通称とするのであれば、恐らくランスさんの意見
が正しいのでしょう。
 「支那」という意味はわたしゃは良くは知らないのですが、聞くところによる
と、「支那」は地理的概念、あるいは諸王朝を通じての民族・文化的概念を指す
場合に用いられているようです。また、支那という名称の国もなかったようです
ので、日支戦争としてしまうと余計に混乱するのではないかと思われるのです。
 現在、日中戦争と言った場合に、当時の日中の戦い以外を指す人は皆無に近い
のではないでしょうか。それに、支那という言葉が戦後、すたれてしまったこと
や、中国側が嫌っていることなどを鑑みても、日中戦争でよいのではないかと思
うのです。

17 ナマエ:よっきゅん 2000/02/06(Sun) 06:31:33
始めて書きこませていただきます。
このページを読むと、皆さんの熱い思いが伝わってきて勇気づけられます。
なにかと到らない所もあるかと思いますが、どうぞよろしく。

本題についてですが、私も「支那事変」と呼称すべきだと思います。
れっく♪さんは国際法の観点からみたらそうすべきだとおっしゃっていますが、
歴史教育という観点からしても支那事変と呼ぶべきではないでしょうか。
なぜ、当時の指導者たちが宣戦布告せず、事変としたのかといえば、ランスさん
や他の方々が書かれていたような、世界戦略があったからです。この国の歴史を
作ってきた先人達の考えを感じ取ることは、外から単なる事象だけを眺めること
よりも、ずっと重要だと思います。少なくとも義務教育の段階においては。

中学の歴史の授業では、近現代史に割く時間は非常に少ないようです。
だから、「日中戦争」と教科書に記述されていると、それが国際法上では戦争
といえないということを知らないままになってしまう恐れがあります。
よって、ランスさんが書かれたように、教科書には「支那事変」と載せ、注と
して、戦争規模の戦いであったとしたほうがいいでしょう。

私が中学生だった頃も、諸外国のいいぶんばかりを載せた教科書を、教師が
読み上げるだけで非常に退屈だったので、資料集の「日本の最大勢力範囲」
などを眺めながら空想にひたってました(笑

そういうわけで、当時の人々の意思をなるべく正確に捉えるためにも、「支那
事変」と呼称すべきだと思うわけです。
18 ナマエ:ランス/鐵扇會[国防研究会]  2000/02/07(Mon) 02:07:36
>れっく♪さんへ

>現在、日中戦争と言った場合に、当時の日中の戦い以外を指す
>人は皆無に近いのではないでしょうか。

確かに既成事実化してる面がありますね。
日中戦争と聞いて、ピンと頭にきやすいからでしょうか。
とりあえず日本人と中国人が戦闘を行ったことくらいは誰もが知っているので、それを「日中戦争」と呼ぶのはとても容易であり、わかりやすいと言えばその通りでしょう。

>支那という言葉が戦後、すたれてしまったこと
>や、中国側が嫌っていることなどを鑑みても

現在の情勢と歴史上事実は関係ないかと思います。
確かに現在シナという呼称は滅多に使われませんが、当時はほとんどの人が支那と呼んでおりました事実を、否定することは決してできないでしょう。
歴史を追うのは「出来るだけ当時の視点」をモットーにしてます自分としては、ちょっと承伏できかねます。
歴史解釈に現在の政治情勢を取り入れるのは、歪みを生じさせてしまうおそれがあると思います。


>よっきゅんさんへ

よっきゅんさん、ご投稿ありがとう御座います。
今後もよろしくどうぞ。

>中学の歴史の授業では、近現代史に割く時間は非常に少ないようです。

納得。
自分も中学、高校とそうでした。
意図的かどうかわかりませんが、最初の方に時間かけすぎて、後が余ってしまうという状況でしたね、どちらも。
だからチラっとさわりだけやって通過してしまう。

>非常に退屈だったので、資料集の「日本の最大勢力範囲」
>などを眺めながら空想にひたってました(笑

これまた同じく(笑
楽しみにしていた近代史があまりにあっけなく通過してしまうんで残念で仕方ありませんでした。
俺も、堅物の教科書より資料集のほうでヒマつぶしをしていました。
「だって、先生の言うこと全部知ってるんだもん」ってな感じで(^^;
19 ナマエ:西村祥治 2000/02/07(Mon) 10:47:10
ランスさんの

>本文で「支那(日華)事変」と呼び、脚注で「事変ではあるがそ
>の規模は戦争と言えるほどのものだった」というような。

の意見が一番妥当だと思います。

私は「支那事変」ではなく「日華事変」として習ったという記憶があります。
 恐らく「日中戦争」という語は戦後に出来たのでしょう。其の意味では、戦前と戦後の「中国」の指す内容(国民党政権→共産党政権)が変化しているので、そのまま「日中戦争」とするのではなく「日華戦争」とでもするしかないのかもしれません。
20 ナマエ:れっく♪  2004/05/25(火) 19:22
 もはや議論は出尽くした感がありますが、多少思うことを述べます。ランスさ
んもよっきゅんさんも当時の視点という立場にかなりの力点を置いているようで
すが、それならば、戦前の「初等科国史」を教科書にした方が良いかもしれません(笑)。やはり、教科書は客観的で、左右に偏向していないものが一番良いと
思います。客観的に見ると、日中の戦いは「事実上の戦争」であったと言えると
思います。国際法から見れば「戦争」ではなかったかもしれませんが、歴史家か
らみれば「戦争」であったのではないでしょうか。もちろん、「支那事変」と呼
称する歴史学者も多少いるようですが。
 「支那事変」という言葉ですが、以前にも述べました通り、無くせと言ってい
るわけではありません。当時の日本はそのように呼んだのですからそれなりの意
味はあると思います。ただ、わたしゃには当時そう呼称されたからといって、当
時の名称が一番良いとは限らないと思えるのです。また、「支那」という言葉を
当時の人は使っていたのは事実ですが、現在のほとんどの人が使わないのも事実
です。それに、中国側が嫌がっているものをどうして態々使用する必要があるの
でしょうか。そういう事からも、また事実上は「宣戦布告なき戦争」であった事
からも、さらには、現在、大多数の人が使用している事からも、通称は「日中戦
争」で良いのではないかと考えます。
21 ナマエ:よっきゅん  2000/02/08(Tue) 02:10:41
えっと、「日中戦争」が客観的かどうかはさておき、
教科書の記載をどうするかという点から一言わせてもらいます。

まず、歴史教育はいわゆる「歴史家」を育てるためのものではなく、
健全な国民を育成するためのものと理解しています。

だからして、義務教育における歴史教育は「社会科学」を教えるのではなく
歴史観を養うべきものではないでしょうか。自国の史観を教える事が不健全
なことではないのは、諸外国の例をあげるまでもありません。

まあ、そもそも今の歴史教育が客観的、科学的ですらなく、反日で染め上げら
れているのは困りものですが・・・。

22 ナマエ:れっく♪ 2000/02/10(Thu) 06:24:37
 「歴史教育」の意義は、まず第一に、客観的で左右に偏向していない事実を
教えることであるとわたしゃは思っています。「健全な国民の育成」が歴史教
育の第一の意義であるとすると、わたしゃとよきゅんさんでは「健全」の意味
が、かなり違うでしょうね(笑)。

23 ナマエ:ランス/鐵扇會[国防研究会]  2000/02/08(Tue) 02:12:46
やはり最終的に行き着く先は
・当時の視点
・現在の視点(から客観的に)

の対立となりますね。
これは一概にどちらがいいかとは判断できかねると思います。
ただ、自分は当時の国情を知ることで、将来同じような状況に陥った時に、過去の教訓を生かせると考え、当時の視点派であるのです。
れっくさんの主張もよくわかる。
わかるが故にこの問題の奥の深さを実感致します。

参考までに・・
他の方々はどちらの派なんでしょう?(^^;
勝手に派を作って申し訳ないですが、便宜上こう呼ばせて下さいまし。
今のところこうなってます。

現在視点派:れっくさん
当時視点派:ランス、よっきゅんさん

24 ナマエ:野次馬三等兵 2000/02/08(Tue) 09:19:17
私を忘れないでチョーダイ。

日中戦争なるものは、歴史上存在しません。
歴史の歪曲(爆笑!)です。

あれはあくまで支那事変であります。
25 ナマエ:ランス/鐵扇會[国防研究会] 2000/02/09(Wed) 01:51:33
>私を忘れないでチョーダイ

大変失礼しました、野次馬様(^^;

>塾長さんへ

ご要望通り、一連のカキコとレスを削除致しました。
めげずにどんどんカキコしてくださいまし(^^;


doBBS