2002年度から実施される新学習指導要領の問題点及び今後の展望

学習指導要領の概要

○現状認識

学歴社会・受験競争によるゆとりの欠如、詰め込み教育による意欲低下

○政策内容

ゆとりのより一層の拡大→週休5日制完全実施・学習内容3割削減

(具体的な点は「学力が危ない」113P)国語では王外僧籍を追放。

新しい学力観に基づく実践授業と学力評価→総合的な学習

(学習内容における自己決定の尊重→中東高等教育における必修科目の削減・選択科目の増加)

○以下・具体的検討

1現状認識(過度の受験競争他

2政策決定過程(審議会政治の問題点・専門的視点の欠如・政策結果のフィードバックの欠如)

3政策そのものの合理性(ゆとりは本当に意欲を養うか。総合学習の現実性・政策としての妥当性)

4懸念される結果(私立へのフライト・階層分離・学力=国力低下)

 

1現状認識について(省略可)

T新学習指導要領の問題認識の検証

「過度の受験競争によるゆとりの欠如及び知識詰め込みによる意欲の低下」

教育の大衆化に学校の設立がついていかず受験戦争が喧伝された57年(入学率40%

現在は80%)の調査でも「一般に誇張されているほどの無理な生活は僅少」という報告内容であった。

また終戦直後、49年の学習時間と現在の学習時間では、49年のほうが多い(学歴社会という神話)

具体的には2000年において全く勉強しないが11,9%でマイナス0,2%

2時間以上勉強するが13,8%で、49年の3時間以上19,9%よりも低い。

(より具体的なデータは同120〜127P)

また国際比較においても、アメリカ・韓国の学生に比べて日本の学習時間のほうが少ないのである(ゆとり教育が国を滅ぼす83P)

さらに、肝心の学校での授業数も今度の改定で中学三年生の数学と理科の学習時間は、アメリカの同学年に比べて半分、さらに、オーストリアに比べると4割となる。

そもそも入学率は8割を越えている時点で「過度の受験競争」とはいえない。

受験神話を支えている学歴社会論も、じつは日本はアメリカイギリスよりも

学歴がキャリアに与える影響は少なく虚構であることが実証されている。

仙台市内の小学校とシカゴの小学校を比較した調査では

教師が児童の解答を授業で使う機会は日本が多いが

ドリルを使用する頻度はアメリカが多い。また、子供の誤答を失敗として叱責するのではなく

子供達が互いに正しさや誤りを評価しあう活動においても仙台の学校のほうがよく行われていた。

最後に、学習を動機づけるために、学習内容を日常的な文脈に位置付けようとする活動も

仙台の学校のほうが圧倒的に行われていた(教育改革の幻想193P

また、意欲の低下は89年のゆとり教育路線以後、継続して起こっているのであり(

決して、詰め込み教育?が原因となっているものではない。

U学力低下

中学生理科の学習到達度の比較、河合塾のテスト等あらゆるデータが裏付けている

2政策過程

審議会の放言がそのまま政策となっている

某作家の「数学の公式がわからなくても生活には困らない」という発言により2次方程式の解が追放された。規定路線であったゆとり教育の妥当性が十分に検証されないまま、路線の続行を強行

3ゆとり教育政策の妥当性

T教育内容の削減とゆとりの拡大は本当に授業の理解度を改善したのか?

ゆとり教育路線以前の79年とでは、ほとんど変化なし。

そして、「難しい教科があってついていけない」と答えた生徒は79年には

30,1%だったが、97年には43,3%へと増えている(教育改革の幻想28P)

そもそも学習事項は有機的に結びついているものであり、一律に削減したからといってわかりやすくなるものではない。かえって、相互の結びつきが見えにくくなると、理解が困難になり、手っ取り早く暗記に走るおそれもある。また、内容を削減したとしても、もとの学習時間を減らしているのであるから効果は半減である。

U子供のゆとりは奪われてきたのか?

92年以降、急激に勉強しない子供が増えている。

92年は27%から98年は43%。そして勉強時間の平均も下がり続けている。

ゆとり教育は過度の勉強を減らしただけではなく適度の勉強をする子供達を

まったく勉強しない状態へと追いやった。そして、勉強時間の減少分の時間分、TVやゲームの時間が増えることになった。つまり、ゆとりを増やせば子供達が自発的に勉強するはず、というのは疑わしく

02年度指導要領の完全週休2日制はこの流れを加速するだけに終わる可能性が高い。

(教育改革の幻想122P

ちなみに、日米中3カ国では日本の子供は一番勉強していない。

Vインターネット時代は知識は必要ない?知識軽視思考への反論

よく言われるのが上記のような主張であり、そこから生きる力・考える力が必要という容量の主張へつながる(事実、審議会メンバーにおいてこのような主張がみられた。

「しかし、学校で教えられる知識は新しい知識を理解するうえでの基盤となる知識である。

高校レベルの理科の知識もなしに、最先端の科学技術について理解しようとしても無理なことは

誰でも気づく。自然科学にとどまらず、社会現象についても高校程度の社会科の知識は私たちが

現代社会の問題を考える際の基礎的な知識となっている。情報化社会ではすぐに知識が古くなる

だから知識を教えることは意味がない、という判断は、新しい知識の理解がそれ以前の知識の理解

との関連抜きに可能である、とみなさない限り、正しいとはいえない」(教育改革の幻想181Pより)

また、検索のしかたさえ憶えれば(=自ら考える力?)大丈夫というわけでもなく、情報量が

多くなればなるほど、どれが正しいのかを判断する基礎的な知識が一層必要となるだろう。

それに、学校で学ばなくても生涯学習の機会を増やせば大丈夫というわけでもなく

その機会を増やすためにも基礎学習の充実をはかるべきである。

確かに受験は瑣末な知識を問う問題がないわけではない(私大の歴史など)

しかし、受験勉強を一義的に罪悪視するあまり、知識の価値を軽視し、思考力や判断力が

知識獲得過程で身に付くことさえ認めない風潮が強まっている。

基礎的な知識や学力をあまりに軽視すれば、緻密な議論を積み重ねる知性も身につかないまま

自己主張に終わるだけの批判的態度が形成されかねない。

現代社会を覆う問題の複雑さを考えれば、ある程度の幅広い知識の共有がなければ

問題発見も自ら考えることもおぼつかない。

W本当に日本の学校は知識詰め込み教育だったのか?

上記仙台のれぽーつ

X各政策の整合性

最低基準といいながら、検定では容量を越える記載を厳しく規制(結果、子供の興味を

引くような内容が削除された)しかし、これは緩和されるらしいが、いまだコラム扱い。

総合学習等、教科に対する深い理解が必要とされる授業を要求しながら

なぜか教師免許に必要とされる専門科目単位を半減。

総合学習、生きる力を歌いながら、ろくに予算も教員の確保も研修制度も設けず、学校に丸投げ。

E総合学習の光と影・アメリカカリフォルニアの改革の失敗。山口小学校の成功

・ケーススタデイ失敗例のカリフォルニアと成功例の山口小学校

80年代〜90年代半ばまでカリフォルニアでは「子供の動機を大切にする・教師は支援者

知識を教え込む授業はいけない・問題解決型・体験型学習が望ましい」という子供中心的な

教育政策が実行された。その結果、カリフォルニア州の生徒の学力は全米で底辺に位置する

までに低下した。特に、黒人や貧困層の学力低下が著しかった。州は委員会を設置し調査した結果、基礎知識の重要性を認め、よりバランスのとれた教育政策に軌道修正した。

州の教育長ホーリック氏の言葉がこの一連の動きをよく表現している。

「私達を反研究的反科学的態度へと陥れてしまう進歩主義教育というものの恐ろしさがある。そうした態度がいかに非合理的なものであるか、われわれは十分理解していたとは思えない。おそらく、これが

われわれの最大の失敗であった。」

一方、山口小学校は、百ます計算、百人一首の記憶、朝10分のドリルといった

徹底的に基礎教育を重視した教育をして荒れていた学校を再生。ほぼ全員が全国平均を上回る学力を身につけている。蔭山教諭は、基礎学力をつけることで困難な問題も理解できる。

子供は(文部省が易しくすればやる気がでると思っているの違い)とてもできそうに

ない難しい課題を好む、そしてそれをやり遂げたことは大きな自信になる。そう導くのが教師の役割と主張する。蔭山教諭は言う。

「子供というものは、成長するものであり、成長を実感することで生きる意味を考えると思います。

そして、子供の負担を減らせば、楽にはなるでしょうが、子供は成長する機会を失います。

いろいろ難しいリクツをこねるより、本当に子供が笑顔を見せる瞬間がどんなときか、子供の事実に即して

考えれば、意外と簡単に解決することは多いと思うのでしょうが、どうでしょう」

Z学習内容削減について具体的専門的な問題

結論=時間減による一律3割削減を達成するため、体系性・整合性を無視した削減が行われている。

かつ、何を残し削るべきかという問題に対する専門的考察の無視。

英語誤った認識に基づく、文法語彙の軽視、実効性なき会話重視教育

会話力がないといわれるが、じつは文法語彙の力の方が低い。

そもそも学校授業で会話できるようになるのは無理。なぜなら会話力習得には

徹底した継続的学習が必要だから。集団授業になじまない、プラス時間も不足。

 

(数学)計算負担の軽減により数的感覚が喪失、小数点を第一までしか教えない、3桁同士の掛産は駄目、分母が大きい分数は駄目という意味不明な縛りがおおい。

(1)四則演算の取り扱いが不完全 足し算は3桁まで。掛け算は3桁と1桁、2桁と2桁しか扱わない。

これまでの研究では3桁×3桁の掛け算をきちんとやれば一般の計算の仕組みが理解できることが知られている。その教授方法も確立されているが、授業内容削減を強行した結果こうなった。

(2)分数少数の扱いが不完全であり、数の概念を正しく把握できない。 比の値は扱わない。小数の計算は小数点以下1位までしか扱わない。分数も真分数だけ(分母が大きい分数)。

分数や少数には割合的な観念だが、これが不足して抽象的な思考の訓練ができない。

ちなみに、3,14をおよそ3としか扱えなくなるのはこの制限のためである。

およそ3と教えるのはうそだ!円周率は3,14と教える!と文部省及び疑いもなく信じた一部識者は言うが、およその計算では3、手計算では3、1、概念及び電卓計算では3,14という意味不明な分け方

が問題なのではないか?

(3)単位の扱いが不十分 長さの単位さえ、kmについて詳しく触れる程度

(4)極め付きは…・以上の欠陥は中学生で補正されない(つまり3桁かける3桁の計算ができるものとして扱われる(爆)

(理科)

具体例で…

体積はという言葉は難しいから使ってはいけない。たねは学術用語ではないので種子とせよ。

昆虫について、植物を食べる昆虫しか扱っては駄目、植物は栽培植物に限る

ものの燃え方を説明するのに調理器具の写真を使っては駄目

ペットボトルロケットは指導範囲外なので削除(コラムとしても載せては駄目)。

「ゆとり教育が日本を滅ぼす」(小学館文庫)、教育が危ない

 

4懸念される結果:階層分化加速の危険性

まず成績別に見ると、成績が低い生徒ほど学ばなくなり、TV等に割く時間が増えた。

そして、勉強しなくなったのは、、、階層の低い子供達である、勉強への取り組みに階層差が広がっている。(学歴社会という神話95P

そればかりでなく、学習意欲、「授業をきっかけに新しいことを知りたいと思う」という自ら学ぶ力

も(全般的に低下しているが)社会階層下位グループにより顕著にあらわれている(同じく神話95P)

ゆとり教育はこれら下位グループを直撃した。

これは、現在学歴社会・受験社会神話が相当程度薄められ、勉強否定論が蔓延していることが

原因と考えられる。そして、教育費及び教育意識が一般的に低い社会階層下位の家庭が、その影響を

もろにかぶったものといえる。

これに加え、ゆとり教育により私立校へのブライトフライトが加速する可能性が高い。

すでにバブル崩壊後減少していた都内の私立中受験者は増加傾向にある。

指導要領に従い、授業内容をカットすると答えた私立学校はたった7%。週休2日に従うのは2〜3割。

公立学校の学習内容が削減されるなか、私立学校はゆとり以前の水準を保つことをセールスポイントにしている。私立中学の授業時間数は約2300時間に対し、公立は約1500時間。公立学校に行くと

約3分の2の教育サービスしか受けられないことになる(国を滅ぼす96P)

現在でも、(高校だが)公立トップ大学進学実績は、私立中堅のそれと変わらず、教育力に疑問があるのに事態をますます悪化させる改悪である。

そして、この結果、年収が高く教育意識が高い層の子供がより私立校シフトが加速する可能性が高い。

逆に、そうでない子供は否応なく低レベルの教育サービスしか提供されない公立校へ行くしかなくなる。

これは階層分化を加速する動きである。

皮肉なことに、目先の「子供・親の平等感」を重視した結果、子供の階層による教育機会不平等が

加速している。

 

5、今後の展望

まず、わからない生徒に全員を合わせるという発想をやめる。そして、各自にあった学習方法を。

つまり、能力別クラス編成を活用するべきである。

週休2日はやめて、授業時間は確保するべき。そして社会の情報化が進んだ今

無駄な学校行事は削減するべき。学校の役割を本来の教育サービスに限定し、教師は教えるプロに徹するべき。<労働者だ!という日教組の意見に組するわけでない。

教師の能力を改善するため、一定年度ごとに研修を受けさせる等の措置が必要。

できるだけ各自治体の自治に任せ、予算の使い方も任せるべきである。

なぜなら、中央で一律に政策を推進していくよりも

その地区の細かなデータをフィードバックして機動的に政策決定し実行していくことが可能だからである。

教科書の無料配布は薄い教科書の原因。補助金制にするべき。

問題のある生徒はさっさと特別学校へと放校。

大学はできるだけ受験科目を増やすべき。