<短編戦記小説>

馬鹿な一般日本人

「私達はこんな民族と戦って傷ついたのか」

 ネイト・フレデリック少尉は落胆すると共に、憤慨していた。
部下達が日本人に話しかけると、彼らは卑屈な態度をとり、子供達はばら撒かれた菓子に対して
鳩のように群がる。「カミカゼ」を実際に体験した少尉にとって、この光景は哀しい物であった。

今日も部下達は面白がりながら、トラックから菓子をばら撒いて遊んでいた。
群がる日本の子供達。少尉はその光景に飽き飽きしていた。
そんな中、一人の少年がこちらにやってくるのが見えた。何故、少尉がたくさんいる子供達の中で、その少年に目が行ったかというと、その少年の表情は笑っていなかったからだ。
菓子を拾う子供達の顔は、みんな嬉しそうな顔をしている。しかし、その少年の顔は険しかった。

少年は、他のみんなが菓子を夢中になって拾っている中へ入っていき、なにを思ったのか突然怒鳴りだし、あたりかまわず拾っている同世代の子供達を殴り出した。

「ヒコクミンメ! ヒコクミンメ!」

少尉と部下達は突然の事にあっけにとられた。
「この少年はお腹が空いていないのか?」という疑問も生じたが、ガリガリに痩せた少年の体つきを見ると、疑問は更に大きくなった。その少年があたりかまわず周りの子供達を殴りつづけるので
子供達は少年に畏怖したのか、菓子を拾うのを辞めて蜘蛛の子を散すように逃げていった。

少尉達はここで疑問の答えが一つ見つかったような気がした。
少年は、我々がばら撒いた菓子を一人占めしたいが為に、周りの子供達を暴力によって解散させてのではないだろうか・・と。しかし、少年に落ちている菓子を拾う気配は一切無く、足元に転がっていたチョコレートを勢い良く踏みつけると、我々を殺意のこもった鋭い目つきで睨めつけた。

「キチクメ・・・」

そう一言つぶやくと、少年は去っていった。

少尉は少年の行動が理解できなかった。
最初、我々に群がってきたのはいわば孤児だった。全員がそうという訳ではないだろうが、
確実にそれは含まれていることが見れば誰でもわかった。
彼らを「孤児」にしたのは一体誰か? 答えは簡単である。我々だ。
少尉が日本の地を踏んでから何ヶ月か、最初は自分達に畏怖していた日本人も、我々が施しをしてやると、喜んで近寄ってくるものが大勢いた。
自分が日本に着たとき、自分の気持ちは引き締まっていた。何故なら、あの勇敢な日本軍の家族が、今度は自分達の目の前に現れるのだ。彼らは決して自分達に寄り付かないだろうし、自分達も彼らに近づけないものだと確信していた。所が数ヶ月が立ってみると、辺りを焼け野原にした張本人だというのに、日本の子供達は我々を見つけると、菓子をせがみ寄って来る。
日本人は「憎しみ」という感情が無いのかとこっちが混乱してしまうほど、親しげに話しかけてくるものまでがいる。それは、なにも子供達に限定されなかった。
日本軍に協力したり、関与したものは「戦犯」になるという噂が民衆の間にも流布したせいか、
大人達も卑屈な態度をとり始めるようになった。流石に物乞いをするわけではないが、
我々が近寄ると頭を下げ、つくり笑いをし、召使のような態度を誰もがとっていた。

だから少尉は、とまどうと共に憤慨したのであった。
少尉は実際に「カミカゼ」を体験した。海兵隊の友人からはオキナワでは住民達も勇敢に我々に対して立ち向かってきたという話しも聞いた。
このようなこともあり、そのギャップには本当に混乱していた。

最近はその混乱に一つの答えが出かかっていた。
日本の民衆は、自分達を指導する者がいる時は勇敢であるが、それが崩壊したとき、新しい指導者に対して簡単にも鞍替えをしてしまう民族なのだと。
「テンノー」という存在は絶対だと聞くが、この民衆を見る限りでは、民衆にとって「テンノー」とは薄っぺらのものであることが予想できた。我々の占領政策も、この支配者に対して従順な民族が相手ならば、簡単に進めることができるだろうという安心感さえうまれてきた。
流石に我々と戦ってきた兵士達はそうはいかないだろうが、この生き残りの兵士達が老いて死んでしまったとき、この国を完全にモノとすることができると感じた。

しかし、そこで気がかりでならないのがいまだにわからない、あの「少年」の行動である。
もし我々が戦争に負けていて、日本の兵士が菓子をばら撒いても、アメリカの子供達は日本軍を憎む心を忘れはしないだろうし、それは大人達も一緒である。
所が日本の場合、民衆にそういった「意識」は存在しないらしく、尻尾をすぐにふる。

あの日本軍兵士達とこの民衆との落差、「日本の民衆の態度」の「常識」として意識に定着していたイメージを打ち壊されそうになった、あの少年の行動。
最初、不思議に思ったがよくよく考えてみるとあの少年の行動は極当たり前の行動ではないか!
狂っているのは、他の民衆の態度ではないか!
孤児達は何故自分達が孤児にならなければいけなかったのか、理解できていない。
大人達は何故自分達が苦しく貧しい思いをしなければいけないのか理解できていない。
我が軍の占領方針はすごいものだ。しかし、ここまでコロッといってしまう日本の民衆もおかしい。

しかし、あの少年のような日本人も確実にいる。少数ではあるが確実にいるだろう。
まてよ? 少数だって? 
少尉は知日派だった。だから「カミカゼ」を勇敢だとこそは思うが「クレイジー」とは思わなかった。むしろ、自分が同じことをやれといわれても絶対にできないと理解していたから、その「カミカゼ」は尊敬の対象とすらなった。何故ならば、少尉は「BOSHIDOR」という書物を読んだことがあるからだ。多いに感銘を受けた本。戦場の精神的な苦痛により、しばらく忘れていた存在だったが、「カミカゼ」を体験したとき、部分的にその意識を思い出したのであった。

不屈の精神や、そういう自分があこがれることのできる「意識」を日本人誰もがもっているわけではないのだ。むしろ、その意識をもっている日本人の中でも少数である。
その少数が、「日本」という共同体を指導していたのだ。しかし、我々が戦争に勝ったことにより
その「存在」は他の民衆の中に封印され、ごちゃまぜにされてしまった。
アメリカにとって、それはとても好都合なことではあったが、日本人にとってはとんでもない事であったであろう。 なにしろ、その「少数」の存在が先だって活躍したからこそ、「カミカゼ」の英雄が誕生したり、数々の勇気も生まれたのであろうから。

少尉は最初の疑問がとけたような気がした。
「こんな民族」と侮蔑の意識さえ芽生えていたが、元来自分が偉大に感じた日本人とは少数の存在なのであることに自分は気がついた。そして、その「少数」の存在がアメリカの野望にとてつもなく危険であることから、我々が一般民衆の中に、それを封印しようとしていることも知った。
なんだか勿体無いような気もしたが、それが最良の措置なのだと自分を納得させた。
しかし、まだまだあのような少年が民衆との数にくらべたら少数ではあるが、たくさんいるだろう。
我々と戦った日本軍兵士たちが老いて死んでいっても、あの少年はまだ死なないだろう。
あの少年が老いて死に、この日本にあの少年のような意識を持つものが誰もいなくなった時、
真の意味で我々の占領が完全に完了するであろう。


少尉は最初の疑問に対する答えを見つけ出し、その後日本語を学習して日本にしばらく住んだ。
やがて少尉は老いて、今に至る
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ネイト・フリデリックはテレビを見ていた。
「タワラ、ノサカ・・・セノオ ・・」
テレビに出てくる知識人と称する日本人を見るたびに、退役軍人のネイトは、戦争直後の日本民衆を思い出し、召使が仲間割れしているのを上から見つめるような、見下したような態度で椅子に座った。「我々は勝ったんだな」と少し哀しい意識にも浸りながら、煙草に火をつける。

しばらくみていくうちに、丁度今テレビに出ていた「あの世代」と同じ男が出てきた。

「イシハラ・・・・!」

ネイトは、チョコレートを拾わなかったあの少年の姿を思い出し、嬉しい気分で煙草をふかした。


著・時世
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/9044/sakurakai.html

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