兵隊さんの憲法


 お目汚しまでに感想文を書きました。御笑覧下さい。
 世の中変わる時には変わるものです。しかも大きな変化ほどめくるめく速さで展開するものです。なるほど革命や変革が情緒的な吸引力を持っているのも頷けます。
 最近は改憲を含めた憲法論議が、公開の場でなされるようになりました。かつては憲法と言えば第九条と言わんばかりの状況の下、改憲を口にすれば黙殺されるか、異常な考えとして叩く為に取り上げられるかでした。隔世の感とはこの事です。改憲論議だけでは飽き足らず、教育勅語(きょういくちょくご)を顕彰する人まで現れる始末です。


 教育勅語を高く評価する人々によれば、外国の学者さんに紹介すると一様に感心し、良い評価を与えるそうです。でもどうせ欧米の学者さんだけが対象でしょう。日本人や、日本人があまり知らない第三世界(差別用語)の人達が読んだらどう思うでしょうか。まずは原文を自分で読んでみるまでです。


 漢文直訳名調子に知恵熱出しつつ読んでみれば、天皇(国家)の発言・命令としては私的な事に及び過ぎていると感じました。しかしこれは「爾(なんじ)臣民」と呼び掛けているものの、実は「全国民に告ぐ」というものではありません。「学舎の子供達に告げる」内容です。道徳臭が強いのも已むを得ません。大人達へは「子供をこのように躾けてくれろ」という気持ちでしょう。人の親としては「言われなくたって承知の上さぁ」ってなもんでしょうけど。そんな大人でも国民と国家の関係に関する部分には耳を傾ける必要があると思いました。
(今の親御さんは「承知の上」じゃないんでしょうねぇ。勅語に出てくる「孝・友・和・信」等というのは古くさくて嫌がりそうです。さらに「恭謙・博愛・遵法」ならまだしも、「奉公」ときたら生理的に拒絶されるかも知れません。やはり教育勅語を誉めるのは勇気が要ります。)


 さて本題。教育勅語を讃える発言は(ある種の)比較的大きなメディアでも聞かれる様になりました。しかし流石に軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)を顕彰する声は、比較的大きなメディアでは聞く事ができません。昔の道徳律を持ち出すだけでも反動的と見られかねないのに、「軍人」ときてはもうアウトです。やはり皆さん、慎重なのでしょうか。それとも軍人勅諭は眼中にないのでしょうか。本当に「ヤバい」事が書いてあるのでしょうか。ここでもやっぱり原文を、自分で読んでみるまでです。


 詔勅なのに、漢文直訳名調子ではありません。これだけであたいもうびっくりだよ。
 明治の詔勅というのは、たとえ商店街の会長さんに渙発されるようなものであっても、
「祝詞悦バシ汝等自ラ其意ヲ体シ其効ヲ奏セヨ(明治五年九月)」
の様な文体になるものです。ところが軍人勅諭は擬古文調というか、いわゆる和文体というやつです。この文体が与える効果というのは、軽々しく考えるべきではありません。
 江戸時代には絵双紙やお芝居の中でだけお馴染みの天皇が、
明治になって突然強調されたなんだか判らないけど有り難い存在が、
兵隊さんになったからと言って、百姓町人のせがれである自分に語りかけているのです。「ぞかし」など口語調の語尾を多用して。かつての支配者であった武家(軍人)に、国民であれば誰でもなれる(義務ですが)世の中に変わった事と相俟って、強烈な衝撃となったでしょう。


 今度は内容を見てみましょう。
 相変わらず道徳臭の強いものです。曰く忠節、礼儀、武勇、信義、質素。教育勅語と異なり、若者を初めとした「分別盛りの男子に告ぐ」ものですから、御近所との付き合い方ではなく個人としてのあり方を強調する書き方です。結局は軍人と国家、上官同僚部下、内外の民間人との付き合い方が書いてあるのですが、表現上の力点が違うのですね。しかも道徳臭が強いとは言えかなり論理的な書き方をしており、自立した「大人向け」の詔勅であると感じさせます。私達がこれを修めても、兵営とは無縁の生活を送る現代日本人です。ぴんと背筋の伸びた「大人」にはなっても、「日本の正義で地球を一色に染めよう」などと○○のような事を考えるようになるとは思えません。大体この勅諭は教育勅語と異なり、天地の公道人倫の常経の「拡大」には無頓着です。儒教の徳化よろしく、自分が心や行動を慎んでいれば、周りも「おのずから」天道に帰するという立場なのでしょう。甘いなあ。
(教育勅語にある「拡大」の要素は、正確には次のようになります。「良心的な人が共通して持っている傾向」によって、「外国でも通用する」が「外国もそうでなければならない」に変えられてしまうのです。半ば、いやほとんど無意識的に。その非常に微妙な言い回しが「内外ニ施シテ悖ラス(もとらず)」です。)


 ただ全体の半分になんなんとする前文には鼻白んでしまいます。歴史を踏まえて書いたつもりでしょうが、天皇による軍の「直接」統御を強調しすぎです。武士の棟梁は軍を将いる(ひきいる)根拠を一貫して天皇や皇族に求めてきました。旧秩序の崩壊した戦国期ですら、上洛と称して天皇が持つ全軍統御の正当性に近付こうとしました。多分に形式的ですが、勅諭が理想とする「兵馬の大権は朕が統」べ「司々(つかさづかさ)をこそ臣下には任す」原則は一貫して崩れていません。
 逆に実質的な天皇直帥(じきそつ)の軍は、日本の歴史から好ましくないようです。明治天皇が大元帥の地位に付き、軍服を着る事になりました。それを見た女官達は「武者苦しき御姿。おいたわしや」と嘆いた話を聞いた事があります。やんごとなき方はそのような事に直接手を付けない、という観念が歴史的に醸成されてきたのです。それを無かった事にするとは、皇祖はともかく歴代天皇も随分なおざりにされたものです。確か「神武創業の初めに戻る」というスローガンもありました。そうまでして統帥権の名実を一致させる必要があったのは理解できます。近代的国家主権の観念です。
(軍人に天皇直属という緊張感を持たせる為でもありそうです。それから統帥権の強調でない部分には微笑まされました。「大政奉還、版籍奉還が成功したのは、歴代天皇の支配が宜しきを得たからであろうが、それよりもやっぱり国民が偉かったからだ」という部分。率直です。)


 うおっ。話が致命的な逸れ方を! とにかく、前文は歴史認識に関わるので、勅諭の立場に統一するのは無理があります。それでも帝国陸海軍建軍の理念表明はそういうものとして受け取れます。そして五つの徳目プラス誠心(まごころ)は「危険思想」とは到底思われません。これら徳目を修めないのではなく否定、拒否した場合、どのような人格になるかをお考え下さい。


 最後に邪推を。
 これらの徳目を否定する人は、実は徳目自体を否定しているのではありません。「良い」と観念される事が天皇に由来するのが我慢ならないのでしょう。礼儀や信義を良しとする人は、それが天皇や日本の歴史から来ている事を認めたくないに違いありません。かと言って、それら徳目を捨てる訳にもいきません。ではどうしましょう。歯切れが悪くて申し訳ありません。邪推の邪推たる所以ですので、御容赦願います。


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参考資料

軍人勅諭本文  教育勅語本文


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