大東亜戦争関連歴史年表(不完全版)



1926. 7.9 中国国民党、北伐開始 国民革命軍総司令官・蒋介石は北方軍閥勢力を追い払い国民党による全国近代統一を目的とした軍事活動を開始
  12 国民党、揚子江中流制圧  
1927 1.20 イギリス、上海へ出兵 イギリス政府は、「北伐」が列強の利権が集中する揚子江一帯から華北へ波及する事を恐れ、上海「租界」の危機が迫った事を理由に三個旅団の出兵を決定。日本にも共同出兵を提案(日本政府、拒絶)
  3.24 イギリス・アメリカ軍、南京無差別攻撃 国民党軍の列強領事館・学校・商店への略奪行為を理由に、揚子江上より南京市へ艦砲射撃を開始。市民2000人を殺害
  5 国民党軍、済南(山東省)進攻 山東省は北京・張作霖政府(北方軍閥)と結びついた日本の権益があり、山東省・青島に20000人、済南に2000人の日本人が在住
    第一次山東出兵 在留邦人の保護を名目として第十師団(姫路)より2000人を青島へ派遣
  6.22 東方会議開催 外務・陸海軍・大蔵四省の高級官僚27名を集め、支那・満蒙に対する外交方針を審議、意思統一。会議最終日(7.7)に田中義一外相、「対支政策綱領」を訓示
  7 国民党軍、山東省進攻 国民党軍、鉄道・通信線を破壊。対抗処置として日本軍は済南へ進軍、青島に第十師団・第八旅団が進駐、山東派遣軍司令官に陸軍大将・長谷川直敏(第十師団長)を任命
  8 第一次山東出兵、終結 蒋介石の下野によって「北伐」の中止。これにより日本軍、全軍撤兵
1928 4 第二次北伐開始 蒋介石、国民革命軍総司令官に返り咲き、第二次北伐を指示。北軍350000人を黄河以北に追い上げる。山東省へ国民党軍、進攻
  4.18 第二次山東出兵、決定 天津の支那駐屯軍より三個中隊を済南へ、第六師団(熊本)より5000人を青島へ派遣する事を決定
  4.26 第二次山東出兵 第六師団(師団長・福田彦助中将)・第十一旅団、青島経由で済南へ進駐
  5.1 南軍(国民党中心)、済南入城 南軍500000人(蒋介石直系120000人)両軍司令官の相互了解のもと済南に入城、日本軍と共存
  5.3 南軍、日本人居留地で暴行・略奪 中国軍、外国人の居留・営業が認められた「商埠地」に進入し、日本人居留民の大掛かりな虐殺、日本人墓地の暴露や居留民婦女の暴行を行い、制止しようとした日本軍との間に銃撃戦を展開、激化。翌日早朝まで戦闘
  5.8 済南総攻撃開始 派遣軍司令官・福田彦助中将、蒋介石の停戦協定にたいする回答の不返答を理由に済南城に対して総攻撃開始
  5.9 第三次山東出兵 外務省、日本人居留民の保護と破壊された山東鉄道の確保の為に山東出兵を行う声明を発表。第三師団(名古屋)の山東省出兵を決定。関東軍司令部を旅順から奉天へと移動
  5.11 済南制圧 この三次の山東出兵により対日感情悪化。対日不合作(経済断交)、日貨排斥運動(日本商品ボイコット運動)激化
  6.4 張作霖爆殺事件 奉天郊外の北京・奉天を結ぶ京奉線と日本が経営する「満鉄」線の交差する陸橋で北方軍閥の巨頭・張作霖の乗る特別列車が大爆発。現場警備の関東軍は「犯人は南方便衣隊なること疑いなし」と発表。日本鉄道守備隊は「怪しい中国人三名」を二名射殺。残りの一名が逃亡後、張作霖の息子・張学良のもとに事件の真相を通報
  12.28 東三省易幟 張学良、自らの政権所在地、奉天市一帯の官庁・学校などに一斉に国民党のシンボル青天白日旗を掲げさせ、これまでの満州民族の旗、五色旗を廃止
1929. 1 東北政務委員会設立 張学良、奉天政権を中国国民党の一地方機関とすべく行動、設立の中心となり活動
  7.3 田中義一内閣総辞職 日本政府の張作霖爆殺事件の対応の不誠実さについて、昭和天皇、激怒。自らが首相・田中義一を叱責。これにより田中義一、内閣総辞職を決意、これが日本史上初の天皇大権の発動による内閣総辞職
1930. 5 日中関税協定成立 中国全土に広がる反日運動を背景に、相互に自主関税設定権を認める協定を締結。これにより満州の鉱山・炭坑より得ていた鉱物資源の価格が上昇。日本の満州政策に大きな亀裂発生
1931. 3 東北国民党中央委員会設立 張学良、東北政務委員会に引き続いて中心的に活動、満州の中国国民党勢力、さらに強化。反日運動、この頃さらに激化
  4 南満州鉄道株式会社、赤字を計上 1907年の創業以来日本のドル箱であったが初の赤字を出した。その原因は1929年以来の世界大恐慌と、1927年に東北交通委員会(張作霖が設立)が建設した「打通線」という満鉄併行鉄道が行ったダンピング
  9.18 柳条湖事件 奉天独立守備隊(1500人)、満鉄レールを騎兵用小型爆薬により爆破。これをきっかけに関東軍、北大営を攻撃
  9.19 満鉄沿線主要都市制圧 関東軍(第二師団、10000人) VS 中国東北軍(230000人)
  .9.21 朝鮮軍、鴨緑江を渡江 政府の承認無しでの朝鮮軍司令官(林 銑十郎大将)の独断出兵
    中華民国、満州問題を国際連盟に提起 中華民国政府(首相・蒋介石)、一連の事件を日本軍の意図的占領とし、連盟規約十一条による連盟の制裁措置を求める
  10.8 錦州市爆撃 第一次世界大戦以来、初めての都市爆撃に国際世論悪化
  10.24 国際連盟理事会にて日本軍撤兵を議決(不成立) このときから大日本帝国の孤立がはじまる
  11 連盟理事会、調査委員の現地派遣を決定 連盟調査委員会(通称・リットン調査団)、1932.2.29〜7.23にかけて現地を歴訪調査し、英文18万語よりなる「日支紛争問題調査委員会報告書」(リットン・レポート)を作成
  11.10 愛親覚羅溥儀、中国脱出 清王朝最後の皇帝、満州国執政(後に皇帝)
  11.19 チチハル市制圧 これにより満州を構成する「東三省」(奉天省、吉林省、黒龍江省)全ての制圧完了
1932. 1.3 錦州市制圧 張学良政府、本拠地喪失
  1.18 日本人僧侶殺害事件 上海にて日本人法華宗僧侶二名、信徒三名が300名の中国人に襲われ、二名死亡、三名重傷
  1.21 三友実業社事件 上海居留日本人32名、抗日運動の拠点「三友実業社」に報復襲撃。中国人四名、日本人三名死傷
  1.28 第一次上海事変 大日本帝国・海軍陸戦隊(1800人)と中華民国・第十九路軍(三個師団、33500人)、北四川路(共同租界、日本軍担当地域)にて交戦開始。海軍陸戦隊、苦戦
  2.5 ハルビン市制圧 満州事変(軍事活動)終結
  2.13 第三艦隊、上海到着 第九師団(師団長・植田謙吉中将)、混成旅団(旅団長・下元熊弥少将)、第三艦隊(司令長官・野村吉三郎中将)の艦砲射撃による援護下、上海上陸
  2.25 上海総攻撃失敗 便衣隊などにより苦戦。犬養内閣、上海派遣軍司令部(司令官・白川義則大将)設置、善通寺第十一師団と宇都宮第十四師団の派遣を決定
  2.29 第十一師団、上海上陸 第十一師団(師団長・厚東篤太郎中将)、戦場の西北・側背面にあたる揚子江・七了口デルタに上陸
  3.1 満州国建国 首都、新京市(旧名、長春) 元首、愛親覚羅溥儀
  3.3 第一次上海事変終結 第十一師団の挟撃により総攻撃成功、中華民国・第十九路軍、上海より撤退。この日より国際連盟総会も視野に入れ、日本軍は軍事作戦行動の一切を停止
  3.11 国際連盟総会、総会決議を採決 「支那政府の要請の主題を形成する紛争の全般」が連盟規約十五条による「和解手続き」「勧告手続き」適応の対象となることを確認する総会決議を全会一致で採択
  4.29 上海・天長節祝賀会式場にてテロ 日本軍の上海より撤退中に挙行された天長節祝賀会にて「君が代」斉唱中に朝鮮人テロリスト尹奉吉ら手榴弾をなげつける。陸軍大将・白川義則、死亡。海軍中将・野村吉三郎、駐華公使・重光葵、重傷

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