暴力団行為肯定次元の小泉首相の検証なき靖国参拝


 小泉首相は言っている。「戦争を二度と起こしてはいけないという気持と、家族や国のことを思って戦争に行かざるをえなかった人への敬意を込め、総理として参拝する。批判はあろうと、日本人として自然なこと。宗教との関係はない」
 この主張には、当時の日本国家のありよう・日本国家の形態に対するのと、その国家を国民がどう受止めたかの検証が完全な状態で欠落している。国家の命ずることなら、その理非・善悪を無視して、無条件・無定見に同調・従属するのは、結果的に正しかったとしても、理性に基づかない付和雷同の行動様式に過ぎない。間違った方向に働いた場合、理性なき集団(国家や社会、あるいは軍隊)だったからこそ、強制労働・強制売春(慰安婦問題)・虐待・虐殺、そして人種差別・民族差別があれだけの規模・件数・無制御なものとなり得たのである。本人は気づかないだろうし、認めることもしないだろうが、「戦争を二度と起こしてはいけない」と言いつつも、国家・国民の存在様式を検証せずに「家族や国のことを思って戦争に行かざるをえなかった」としているところに、まずはそのような日本人に対する肯定意識を、そして日本が起こした戦争に対する肯定意識=国家そのものに対する肯定意識を象徴的に漂わせている。日本の政治家の、そのような国家・国民の存在様式を検証しない靖国神社参拝は「組長や組のことを思って出入り・抗争に向かわざるをえなかった組員への敬意を込め、顕彰・参拝する」類の暴力団行為肯定次元の参拝≠ニも言えるのではないだろうか。

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