プライド-運命の瞬間-を見て



 5/23(土)俺はかねてより待ち望んでいた映画「プライド −運命の瞬間−」を池袋はシネマサンシャイン4号館にて鑑賞した。

 開演当日ともあり、なかなかの人数であったが、予想通りというか、白髪混じりの中年以上あるいはご老人方が多かった。若い世代の人間は少なく、居ても本心から見たいと思っている人間はザラには居なかったと言える。

 この映画は上演前から物議を醸していて話題の作品であった。左翼らは軍国主義を肯定するものだとか、その他いろいろ非難を受けていた。が、「これは芸術であり、そこに政治を持ってくること自体が間違いである」と、東条英機役の津川雅彦さんはTVインタビューで答えている。

  んで、実際に見てみると素晴らしい作品であった。もう言葉もないくらいだ。津川さんは見事に東条英機になりきっていてキーナン主席検事との論議はまさに本物であった。裁判を忠実に再現しているばかりでなく、日本人の心を表現しているこの映画を見て俺は心を打たれた。実際何度か涙ぐんでしまった。
 笑ってしまうシーンもあった。我がHP上の東京裁判について書いたコーナーでも触れてあるが、裁判冒頭で起訴状を読んでる時に、発狂した大川周名被告が突然泣きだし、なおかつ、前に座っている東条の頭をはたき、失笑を買うシーンはひどく滑稽であった。東条自身も苦笑いしてるのがさらに笑えた。

 また、この映画は法学の勉強にもなるのではないかと思う。俺も不肖ながら法学部で学ぶ身であり、いくつか関心を持った事例もあった。例えば、清瀬弁護人が「平和に対する罪」と「人道に対する罪」は事後法であり、罪刑法定主義に反するという主張だ。罪刑法定主義とは、平たく言えば、法を制定する前に起こった事柄にその法は適用されないというものだ。余談だが日本国憲法の第三九条一項にもその規定がされている。(何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については刑事上の責任を問われない・・略・) 

罪刑法定主義

 いかなる行為が犯罪とされ、それにいかなる刑罰が科せられるかということを、あらかじめ法律で定めておかなければ人を処罰することはできない。
Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) Shogakukan 1988.国語大辞典(新装版)小学館 1988.

 「この裁判は国際法を踏みにじられ、まったく公平にあらず」ということがこの作品で明確にされた。まぁ書き出したら幾らでも裁判について反論したい点が無数にある。

 ともかくこの映画を見て痛切に分かったことは、事実をただ文章で知るだけではダメだということだ。映像の力はすごいということ、俺は文章の知識で東京裁判を知ったつもりになってたことが今では恥ずかしい。是非、というか全ての日本人にこの映画を見てもらいたいものである。かつての東京裁判自体、口に出すことも許されなかった時代からすると少しは進歩してるんだなとは思う。だが、せっかく明るみになり始めてると言うのに国民の多くは無関心であることがとても腹立たしい。

 津川さんは東条を演じていてこう感じたという。

 戦後50数年、残虐な国民性を持った侵略国、軍国主義日本と必要以上に左翼から辱められてきた日本人は国を愛するという当たり前の心にまで萎縮をきたしてしまった。故に日本の精神文化の要である「恥じ」と「誇り」の美意識さえも失ってしまった。

と言っている。さらに

 日本文化に無関心な国民が量産され、西洋コンプレックスと共に茶髪のニセ毛糖が現出した。こんな情けない民族は世界に類を見ない。

 と痛烈に現代の社会を批判されている。

  最後に、この映画を見る前にある程度の東京裁判に対する予備知識を持っておくことを勧める。我がHPのコーナーがその役にたてば幸いである。


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