第九条の制定過程と解釈問題


(注)これは「昭和憲法の制定過程」の補完論文です。
  参考文献は別項「参考文献リスト」をご覧下さい。


日本国憲法第九条
 一項日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、
     武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄
     する。


 二項前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、
      これを認めない。

はじめに

この第9条の由来がポツダム宣言にあることは誰もが疑うことのない事実であろう。
ひとえに米国(連合国)は日本を近代国家として二度と立ち上がれないようにし向けようとしたのである。
その内容は第一次大戦時のドイツに課せられたベルサイユ条約よりもある意味厳しい内容であった。(賠償金は無いが)
少なくともベルサイユ条約ではドイツにかなりの兵力削減を行わせつつも陸海軍は残された。
比べていただきたい、この昭和憲法は一切の軍備を放棄するよう要求しているのである。
これは日本の国防・安全保障を認めない、つまり日本を独立国として認めないという意思の表れとも言える。

ドイツではベルサイユ条約の不公平さに国民が反発したが、日本ではこのマッカーサー率いる米軍と昭和憲法を喜んで受け入れた。
ヴォーギルドインフォメーションプログラムによる洗脳が日本人に行われたからである。
その茶番の象徴的なイベントこそが東京裁判であろう。

ここでは憲法九条の制定過程から解釈の変遷、そしてその問題点まで順に追っていく。

また、最初に述べておくと自分は自衛隊は違憲だと考えるものである。
法の厳格解釈でいけば絶対に認められないハズであろう。
だから自分は憲法改正論(現行憲法破棄、新憲法創設)者である。

1.前文との関係

9条の文面はマッカーサー三原則に始まり、それが総司令部案、憲法改正草案要綱、帝国憲法改正案へと引き継がれていったものである。
さて、平和主義については憲法前文にも述べられているのでこれも無視できない。
前文もまた三原則に基づいていると考える。

前文を読んでみると日本の安全は「平和を愛する世界の諸国民の公正と信義に委ねる」としている。
政府は第九〇議会で次のような答弁をしている。
昭和21年7月9日
(衆議院/委員会)
吉田首相 ・・・・(前略)・・・。
我が国と致しましては、平和愛好国の先頭に立って、我自ら他を率いていく積極的な精神もこの仲に籠っているのであります。
昭和21年7月11日
(衆議院/委員会)
金森大臣 平和を祈願するという前文から出発致しまして、我々は軍隊を持たないということを憲法の中に規定する、すればいかにして我等の安全と生存を保持すべきかということが起こるが、我等の安全と生存というものは、必ずしも武器でなければ出来ぬという訳ではないのであります。
武器無き世界平和の実現ということが望ましきことであります。
この憲法全体の中に含まれている趣旨がそれである訳であります。

本当に真面目に考えているのかと言いたい。
「平和を愛する世界の諸国民の公正と信義」とは何だろう?
もちろん世界には平和を望む国がある、がしかし、反対に戦争を望む国もあるのだ。
というのは、現状に満足している国は、平和を望むのであり、現状に満足していない国は戦争を望むのだ。

平和を望むというと大げさかもしれないので、現状維持としよう。
戦争を望むというとキツいかもしれないので、現状打開としよう。

これは第一次大戦後の様相を見ればわかる。
例えばドイツは先にも述べたように、過酷な講和条約の内容に憤激し、現状打開を望んだ。
その動きを具体化したのがヒトラーであったというわけである。
引き替えて戦勝国は、とりあえず現状に満足であるので、国際連盟をつくり平和を維持しようとした。
日本も同じで平和維持のため、屈辱的である海軍軍縮条約にも調印した。

このような危険を孕みながら、昭和憲法前文は制定されたのである。
以後、10年ほどずっとこの解釈で日本は来たのだ。
そして10年後の国会で解釈が改められ、自衛権のための軍隊を認められると首相が発言した。
それについては後ほど。

2.芦田修正

これを語らずして憲法9条問題は語れまい・・・それほど重要なイベント(?)である。

第90議会衆議院憲法改正案特別委員会での出来事である。
この委員会の委員長である芦田均(首相)が草案の9条にそれとなく次の文面を追加したのである。
すなわち、

第1項の冒頭に
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」

第2項の冒頭に
「前項の目的を達するため」
である。

「なんだそんなことか」と思うなかれ。
この字句こそ後の解釈改憲の土台となるのである。

特に第2項の方が重要である。
追加された文面なしで9条2項を読むと
いかなる理由があっても戦力は保持できないと解釈せざるを得ない。

しかし「前項の目的を達するため」を追加すると
1項に掲げる国際紛争を解決するための軍隊(戦力)は保持できないが、自衛のための戦力なら保持できるし、交戦権も認められるんじゃないかというあやふやな解釈も可能となるのである。

もちろん、当時の芦田はそんなことはおくびにも出さず
「戦争放棄、軍備撤廃を決意するに至った同期が専ら人類の和協、世界平和の念願に出発する趣旨を明らかにせんとした」
とその理由を述べている。
また、本会議においても政府はこの修正によって第9条の意味が変わることはないと説明していた。

が、後に芦田はその理由をこう述べている。
「戦力の不保持に例外を設けようとして、第2項に追加修正をした」
と。
これによって政府は後になんとか自衛隊合憲説を打ち出すことが可能になったのである。
芦田首相もなかなかの策士であろう。
少なくともその場しのぎとしては十分である。
新たなアメリカ押しつけではない憲法制定までの暫定措置としては。

3.九条の用語説明

まず、用語解説から初めて、政府の答弁へと進めていこう。
自分が大学の憲法の講義で教わったことであるので、学問的分野からの視点と思っていただいて結構です。

戦争の種類

およそ戦争を分類すると
 ・侵略戦争
 ・制裁戦争
 ・自衛戦争
があるとしている。

憲法9条を見るとまず明らかに侵略と制裁の戦争は不可能である。これは疑いの余地はない。
で、問題となるのが自衛戦争である。
他国の侵略を受け、国家は国民を守る義務があるが、そのために抵抗することは出来るのか出来ないのかということだ。
なお自衛権は国際的にどんな独立国にも認められる権利であると付記しておこう。
後で述べる政府の答弁をよく読んでいただきたい。

戦力の不保持

平たくいえば実力行使ができる力ということか。
さて、国家に与えられている実力と言えばなんだろう。
まず、我々に一般的に知れ渡っている力は警察力があげられる。
警察力はその目的が国内治安の維持と法に基づく国民生活の保護にある。

では軍隊はどうか。
軍隊は対外的に向けられる国家を守るための力である。

さて、それでは警察力と軍隊の実力の違いをどう判断するのかが問題となろう。
大まかな判断基準として
 ・その目的の違い
 ・目的に適合しうる実力であること
としていた。
しかしこんなことを言ったら間違いなく自衛隊は9条でいう戦力にあたるはずである。
政府答弁の矛盾点がここにある。

自衛権

自衛権は国際法上独立国家に当然認められている権利で、外国からの急迫・不正な侵害に対して自国を防衛するため、必要な実力を行使し、国家(の安全)を守ることである。
これは国連憲章51条でいう個別的自衛権である。
もうひとつ、よく議論のタネになるのが集団的自衛権であろう。
これは国連憲章で新たに認められた権利である。
例えば、どっかの国が侵略されたとして、自国には何の侵略を受けなくても、平和と安全の一般的利益に基づいて、援助するために軍事行動をとることができる権利。
具体例をあげるとしたら、台湾有事が起こった場合、日本としては台湾近海を通って油槽船が運航してるわけだから、この海上交通線を脅かされると国民生活は大打撃を受ける。だから台湾に味方するぞと軍隊派遣してもよいということ。
ただし、憲法上それが可能かどうかは別の問題。

そしてに自衛権行使の三原則というものがある。
 1.防衛行動以外に手段が無く、その防衛行動がやむを得ないという必要性用件
 2.外国からの侵害が急迫・不正であるということの、違法性用件
 3.自衛権の発動として行われた措置が侵害排除に必要な限度内であるという、均衡性用件

交戦権

文字通りに戦争をする権利という意味が当然あり、もう一つ
「交戦状態に入った場合に交戦国に当然認められる(国際法上の)権利」
という意味もある。
具体的には、戦闘海域における臨検とか、もっと大ざっぱに言うと、敵兵を殺すことである。
つまり戦争状態では敵兵を殺しても殺人罪には問われないということ。
これも交戦権の一つなのである。

ま、冷静に考えて、2つめの意味の交戦権否認はアホだなぁと思う。
戦争して敵殺して罪になるなどという馬鹿げたことがあっていいはずがない。
どちらの解釈にせよ、戦争は出来ないと解釈すべきか。

(※)交戦権についての問題はさらにこれを掘り下げた拙文「交戦権否認とその解釈問題」を参考にして下さい。

4.九条の解釈(学説分類)

基本的な憲法9条の解釈論として大きく3つの説がある。

9条1項 9条2項
A説 侵略戦争放棄 侵略戦争
B説 全ての戦争放棄 全部の戦争
C説 侵略戦争放棄 全部の戦争

A説:
不戦条約から「国際紛争を解決する手段」と「国家の政策の手段」はどちらも侵略戦争をさすものであるとし、2項においては自衛の為の戦力保持は認めるべきとするもの。では交戦権の否認はどうとるのかが問題となる。

B説:
1項ではあらゆる種類の戦争を否定しているとし、当然それに続く2項でも戦力の保持は認めないとするもの。
一番わかりやすい解釈と言えよう。


C説:
2項で「交戦権を認めない」となっているので、それなら例え自衛戦争も行えないため戦力も保持できないとするもの。
いちおう第1項では自衛戦争を認める形となっているが戦力がなければ意味がなかろう。
B説に近い。


これが学説上の解釈論である。
では次に憲法制定当初の政府の解釈(答弁)を見てみる。


■昭和21年6月26日■(衆議院委員会 吉田首相答弁)

戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定しておりませぬが、第9条第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものであります。
(後略)
と、上の表でいうB説を政府は採用してることがわかる。
さて、ついでにこんな意味深い発言も残しているので特筆しておこう。
これは戦力の意味について金森大臣が同じく衆議院の委員会での答弁です。
・・(前略)・・・どの程度までが警察権であり、どの限度を超えますれば陸海空軍の戦力となるか、理論的に何処かに境界線が明白に存するものと思う訳であります。
ただ実際におきまして、もしも国内治安維持の為の警察力ということに言葉を借りて、陸海空軍の戦力そのものに匹敵するようなものを考えまするならば、やはりこの憲法9条違反となります。
・・・(後略)・・・。
後の警察予備隊発足の政府の解釈をはやく見てみたくなる記録ですね(笑)

5.政府解釈の変遷T(警察予備隊発足)

憲法制定からわずか数年で解釈問題が発生した。
それは朝鮮戦争の勃発である。

占領軍たる米軍の部隊が日本国内を留守にするため、その空白を埋めようと、GHQから警察予備隊7万5千人の創設を命じられたのである。
警察予備隊創設に関するマッカーサー書簡
・・・(前略)・・・、私は日本国内の安全と秩序を維持しかつ不法入国と密輸入を阻止するため、日本沿岸を守るに適当な取締機関の拡張を徐々に具体化してきた。

私は1947年9月16日付書簡で日本の警察力を125,000名に増加し、この中には国家地方警察力として3,000名を置くという日本政府の勧告を承認した。

・・・(中略)・・・・。

・・(前略)・・。しかし、事態の推移は日本の長い沿岸水域総てにわたって不法入国および密貿易を防止するには現在法律によって定められた以上の勢力を海上保安庁が使用しなければならないことを明らかにしている。

従って私は日本政府に対し人員75,000名からなる国家警察予備隊を設立し、現在海上保安庁の下にある人員をさらに8,000名増加する権限を認める。


ここで政府は会見であくまで「警察予備隊は警察を補うものである」と説明し、合憲であると主張した。
この時点での戦力についての解釈は「警察力を越える実力」と解していたと考えられよう。

警察予備隊令
第1条 この政令は、わが国の平和と秩序を維持し、公共の福祉を保障するのに必要な限度内で、国家地方警察及び自治体警察の警察力を補うため警察予備隊を設け、その組織等に関して規定することを目的とする。
第2条 総理府の機関として警察予備隊を置く。
第3条 1項 警察予備隊は、治安維持のため特別の必要ある場合において、内閣総理大臣の命を受け行動するものとする。
2項 警察予備隊の活動は、警察の任務の範囲に限られるべきものであって、いやしくも日本国憲法の保障する個人の自由及び権利の干渉にわたる等その権能を濫用することとなってはならない。
3項 警察予備隊の警察官の任務に関し必要な事項は、政令で定める。

ま、ここまでは政府答弁も言い訳として成り立っていたわけであるが、昭和27年にご存じのように警察予備隊は保安隊・海上警備隊に増強されて、この解釈では無理が出てきた。
というのもこの増強で、一段と軍隊色が強くなってきたからである。

さて、政府はどう対処したかと言うと、
「戦力とは近代戦争遂行に役立つ程度の装備・編成を備えたものである」
と解釈を変更した。
つまり『近代戦遂行能力=戦力』ということだ。
でさらに、
「この保安隊は近代戦遂行能力がないから戦力にはあたらない」
とつっぱねた。

自分から役立たずの集団と表明して恥ずかしくはないのだろうか。
いや、そもそも保安隊に入隊した人にたいする重大な冒涜ではないだろうか?
こんな政府のために戦える(職務を遂行できる)かと少なくとも自分は思ってしまうが・・・。

6.政府解釈の変遷U(MSA協定〜)

昭和29年に日米相互防衛援助協定(MSA協定)が結ばれ、日本は防衛の法的義務を負うこととなった。
MSA協定第8条
日本国政府は、国際の理解および善意の増進並びに世界平和の維持に協同すること、国際緊張の原因を除去するため相互間で合意することがある措置を執ること並びに自国政府が日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約に基づいて負っている軍事的義務を履行する事の決意を再確認するとともに、自国の政治及び経済の安定と矛盾しない範囲でその人力、資源、施設及び一般的経済条件の許す限り自国の防衛力及び自由世界の防衛力の発展及び維持に寄与し、自国の防衛能力の増強に必要となることがあるすべての合理的な措置を執り、かつ、アメリカ合衆国政府が提供するすべての援助の効果的な利用を確保するための適当な措置を執るものとする。

この動きは別にアメリカが日本を独立国として認めたからではなく、アメリカとしては日本の治安維持部隊として増強を認めただけである。
これはアメリカが日本を保護国もしくは属国とするために、独自での国防力を持たせまいとしたからである。
この方針は現在までも同じだ。
つまり自衛隊は米軍なしではとても日本を防衛できないということ。
っと、話がそれてしまった。

つまり、日本占領プログラムでは再軍備は認めないとしていたが、日本の国内警備にまでアメリカが請け負うのはしんどいため、こうした運びとなったのだ。

ちなみに挑戦戦争後に米ニクソン大統領は
「日本に憲法9条をおしつけたのは米国の誤りであった」
と演説し、MSA協定へと押し進めたのだ。
何を今更である。
む、9条が誤りだったということはアメリカとしてはやはり保安隊も戦力として見ていたのだろうか。
再軍備のつもりで保安隊を増強したのか?
まぁそれはともかくとして、アメリカが9条を間違いであると指摘したのは日本にとって改憲の大チャンスだったとは言えないか?
この悪法を排除し、とりあえずは国防軍を創設できるように憲法改正していれば、その後日本がアメリカの属国扱いされ続けるのを防げたやもしれぬ。
なんという惜しいことをしたものだ。

さて、MSA協定締結に基づいて、同年に自衛隊法、防衛庁設置法が制定され、保安隊と海上警備隊は自衛隊に取り込まれることとなった。
その任務は
「直接侵略および間接侵略に対しわが国を防衛すること」
と掲げ、とりあえずは国防軍へ一歩前進という形である。
これにより日本から撤退した米陸軍に代わって、陸上自衛隊をまず4個師団創設し、海上自衛隊が(ボロい)フリゲート艦2隻をアメリカから貸与されたのを皮切りに戦力を整えていったのである。

こうして素人目にも警察力とは異なる集団が出てきて、国会で問題にならないはずがない。
はやくも「自衛隊は軍隊ではないのか?」が野党から問い正され国会は紛糾した。

では驚きの変遷を見せる政府答弁をどうぞ(笑)

■昭和29年12月21日■(衆院予算 林内閣法制局長官答弁)

国家が自衛権を持っている以上、国土が外部から侵害される場合に国の安全を守るためにその国土を保全する、そういうための実力を国家が持つということは当然のことでありまして、憲法がそういう意味の、今の自衛隊のごとき、国土保全を任務とし、しかもそのために必要な限度において持つところの自衛力というものを禁止しておるということは当然これは考えられない。
すなわち第2項におきます陸海空軍その他の戦力は保持しないという意味の戦力にはこれは当たらない。

述べている趣旨はわからんでもないが、それまでの政府答弁とまったく整合性がないところが笑える。
憲法改正に思い至らなかったのが至極残念きわまるところだ。
このような答弁をしていては、政治不信に陥りかねないと思うが・・・・って実際そうか。

さて、ここでまた戦力の定義が変わりました。
戦力=自衛の為の最小限度の実力
であります。
どんどん強くなっていきますが、もはやこれ以上は解釈改憲はできないようで、現在に至るまでこれで押し通してます。
そして、「自衛のための最小限度の実力」ってなんじゃらホイとなりましょう。
とりあえず政府は
「他国に侵略的な脅威を与えるような攻撃的武器は保持できない」
と説明してきている。

はぁ?何いってんの?
阻止力はどうなるんだ、そもそも他国に判断を委ねることになるんだろう?
そんなこといったら真っ先に中国でも北チョンでも自衛隊は脅威だとか声明だせば終わりじゃないか。
それに攻撃的武器ってなんだ?
兵器の攻撃的も防御的もあるものか。
使い方次第でどうにでもなるのが兵器ではないのか?
寝ぼけているのだろうか・・・・。

ついでにこの馬鹿げた解釈の集大成とも言える岸信介総理の素晴らしいご発言も披露しましょう(笑)

■昭和29年12月21日■(衆院予算 林内閣法制局長官答弁)
核兵器はすべて持てないというわけではなく、防衛的なものであれば憲法上禁止されてるとは解さない。
しかし非核三原則により政策上持たないことにしているだけだ。
っをを!(爆)
解釈改憲ってすごい!
防衛的に名を借りればなんでも出来るんかぁ〜。いいぞ総理!
・・・とはいかず野党に叩かれまくった(汗

これは持論ですが、俺は解釈改憲はよろしくないと思っている。
というのは、こういう解釈改憲を認めていくと、もし共産勢力が政権をとったとき同様の手口で国体を破壊されるおそれがあるからだ。
解釈を行わねばならぬ部分は法の性質上、全て除くことは出来ないが、これは明らかに解釈の域を超えていると思う。
こんないいかげんな解釈で国防が出来るものか。
自衛官の身になってみろと言いたい。

この後、新日米安保が締結されるのであるが、ここでもまた自衛権の範囲について問題となった。
というのは名目上相互防衛となっているので、もしアメリカが何らかの攻撃を受けた場合、日本がなんの関係もなくてもアメリカの戦争に協力せざるを得なくなっているからである。
そもそも、米軍の日本駐留は日本の防衛のためではなく、アジア地域監視のためであるのは明白である。

そこでもし米軍が極東の平和のためという名目で戦争おっぱじめたら日本もそれに追従せねばならないのかという問題となる。
安保ではその協力体制の範囲を「極東」としているが、これがまたあいまいでよくわからない。
それに日本が攻撃を受けたわけではないのに、米軍の援護をするとなると、それは集団的自衛権の行使ということになるし、そもそも憲法9条1項でいう「国際紛争を解決する〜」の条項に思いっきり引っかかる。

このあたりの解釈問題で日米のギクシャクした関係が続いている。

6.政府解釈の変遷V(PKO)

政府は自衛隊は国土防衛の為だけの目的であるからいかなる海外派兵も認めないという解釈を行ってきた。
この姿勢は湾岸戦争まで続いていたのであるが、世界から「金だけ出す国」とか後ろ指さされる始末となり、このままではイカンと、解釈を改めることとなった。
それが具体化したのが国連平和(PKO)協力法である。

PKO協力法を見る前に、従来の姿勢を今一度確認してみよう。

まず国連軍への参加は可能かという点。
      ↓
国連憲章第7章に規定されている正規の国連軍と、紛争地域で平和維持活動を行う国連の(名の)軍隊の二つがある。
前者の方はいまだかつて組織されたことのない軍隊である。
朝鮮戦争時の連合軍がそれに近かったが、指揮系統の問題から国連軍とは異なると解される。
最近では湾岸戦争時の多国籍軍があげられるが、どちらも国連軍ではない。

後者の方は停戦監視団とか平和維持軍の名でよく知られているだろう。
以下後者についての説明。

これらの軍隊は国連決議に基づいて組織され、国連の指揮監督下に置かれ、戦闘を目的とせず、武器使用は正当事由がある場合に限られる。

これは憲法上に特に問題となる部分はないのだが、政府は武力行使をともなう活動はもちろんのこと、そうでない活動への参加でさえ不可能であると主張してきていた。
さらに停戦監視団への参加要請にも、自衛隊法上そのような任務を自衛隊に与えることはできないとし、これもつっぱねた。
かといって何もしないのは体裁が悪かろうと、経済的援助や、選挙監視団への文民参加という方針をとった。
危険地帯に文民を送り込むという正気の沙汰とは思えないこの行動に、疑問を投げかけた国民も多かった。
そこまでして護憲にこだわる必要があるのだろうか・・・・。

さて、こうした動きから国際貢献は金だけじゃダメだとようやく政府も見直すようになり、「武力行使」をともなわないことを絶対条件とし、国連の平和維持活動へ自衛隊が参加できるようにする法律制定の動きが活発となった。

そして国会で「国連平和協力法」が審議されることとなった。
これは廃案となったが、このときの政府答弁は
「国連軍および国連決議を経て行動する多国籍軍に、その指揮下にはいることなく、自衛隊が武器・弾薬・兵員の輸送を含む後方支援活動をすることを「協力」と位置づけ、これは国連軍などへの参加ではないとし、憲法解釈上許される」
としていた。
立派な参戦だと思うのだが・・・・。
近代戦において後方兵站の重要性はますます高まっている。
実際に銃をうたなければ戦争ではないという考え方は古いと思う。
それに日本独自の指揮系統で動くのでは、国連軍との協力体制など問題点が残される。
いろんな面から見ても廃案になって当然か・・・。

その後、平成4年に
「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」、いわゆるPKO協力法が成立した。
この法律に基づいて過去、何度か自衛隊は海外派兵を行っている。
さて、この「PKO協力法」は、「国連平和協力法」より一歩だけ踏み込んだ形となっている。
すなわち条件付きながらPKFへの参加も認めているのである。
しかし認めているとは言え、この条件では実現は難しいものであるが・・・・。
■PKF参加五原則

1.紛争当事者間の停戦合意の成立
2.自衛隊の参加に対する紛争当事者の合意
3.平和維持軍の中立的立場の厳守
4.以上三条件が充たされない場合の自衛隊撤収
5.自衛の為やむを得ない場合、必要最小限の武器の使用
さらにその上、停戦監視や当事者間の捕虜交換などに関する協力などは付則第2条で、別の法律が制定されるまで凍結ということになっている。犯人は旧公明だ。

7.あとがき

戦後の憲法解釈問題を簡単に追ってみたのであるが、やはり自分は自衛隊は違憲であるし、法の解釈上なんらの武力行使もできないものと考える。
今のような解釈改憲は危険であり、もし政権が赤匪に代わったら同様の手口で国体を破壊してくるのは容易に想像がつく。
また憲法前文で隷従の除去を宣言しているが、現在日本はアメリカに首根っこを捕まれている状態である。
いきなり矛盾点があるのだが・・・。


やはり根本的解決は憲法の改正、いや現行憲法破棄、そして新憲法制定であると信じるものである。
憲法こそは国の基本法であるからして、かようないい加減な扱いは許されないと思う。
まず独立国として絶対不可欠な国防、つまり軍備と自衛権を明記すべきだろう。
国家は国民を守る義務がある、そのために軍備をもって国民を保護するのは当然のことであろう。

最後に、長ったらしい文書最後まで読んで下さりありがとうございました。
なにか付け足したいこと、疑問点などがありましたら、掲示板等で気軽に告発して下さい(^^;

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