国策と軍の意向


静岡新聞、平成11年9月20日に「自衛隊と国軍の基本的差異」と題して掲載された論説があります。(筆者 栗栖弘臣氏)
我が国と外国の制度上の比較が見事になされていると思うので、自分の意見を少し交えながら紹介したいと思います。
新聞引用文を平文で、自分の意見を斜体で記し、区別をつけておきます。
引用文は文意を損なわない程度で書き換える場合があります、ご了承下さい)



1.各国は政策決定に影響力

各国は政策(国策)に軍部の意向を反映している。
国軍は独自の価値判断の基に情勢判断にしても、危機対応策にしても平素からの専門的研鑽による論理が確立されており、政治家とは違った角度からの分析・判断が行われるからである。

中国はもとよりロシアや北朝鮮に関しても外交や政治問題を検討する際、時には経済の動向を見通す上においてさえ当該国の軍部の意向が国策決定の重要な判断要素とされている。
これは独裁国のみならず米国にしても、統合参謀本部の見解が政治とは独立して紹介されることが少なくない。英国やフランスにおいても軍部の代表者たる統合参謀総長は政府の軍事顧問として、重要な政策決定に影響を与える。

政治優先と言うものの、それは最終決定権を持つことを意味しており、審議の段階では軍部の論理にも慎重に耳を傾けるのである。

確かにこれこそが本来のシビリアンコントロールであろうと自分も考える。
かつて我が国では軍部独裁の歴史があったからか、現在に至るまで軍部の意向は無視されているのは愚の骨頂であろう。
なにせ国防の実質的責任者たる防衛庁長官でさえ軍事をまるで知らないただ、順送り人事で回されているだけで、とてもじゃないが軍部の意見を述べるどころではない。

いや、現状の制度の上で、もし仮に、自衛隊幹部の意見を閣議で代弁することができるようになるならば、自衛隊少壮幕僚のロボットとなる危険性がある。なにせ相手は軍事に関してはド素人だから、丸め込むのは簡単であろう。
また逆に軍部の主張する意見の重要性がわからず握りつぶす可能性もある。(後で述べるが実際にあった。)
己の政治家生命の保全の為に、自衛隊幹部が国家を思い立案した意見を、握りつぶされるなんてこともあるやもしれない。

やはり軍部大臣は武官でなければ務まらないのではなかろうか。
これを邪魔しているのが憲法66条第2項
「内閣総理大臣その他の国務大臣は文民でなければならない。」
である。
軍国主義の復活を恐れた米国が作った条項であるが、もはや日本に軍国主義が復活する兆しはない。
かつまた、今後日本が自ら国防を担う上で、真の意味の独立国となるにはこの規定を廃止せねばなるまい。
この点も新憲法を作る上で考慮せねばならないだろう。(自分は憲法廃棄→新憲法発布の考えを持ってます)



さて、翻って我が国では自衛隊の見解は無視されている。
初期においては政権党の私兵として、部外工事やヘリ使用、時には人事にも干渉していたが、このごろはそういった目立った介入はないようであるが、依然として重要な国策決定には全く蚊帳の外である。

かつて外国の文献で、日本は核拡散防止条約について不思議にも軍部(自衛隊)は全く意見を持たなかったとの文章を発見して驚いたことがある。
実際には核拡散防止条約の批准問題について自衛隊も軍事的見地から見解をまとめて大臣に報告した。しかし二代にわたって大臣はいわば握りつぶして閣議に報告さえもしなかった。
外国では軍部の独自見解に一定の重みを置いているのだから、これでは歴史が歪曲されたことになる。自衛隊が政府の政策決定には無関係とされている好例である。


例外的に防衛庁が首相等に報告する際も、いわゆる内部部局の事務次官や局長が実施する。
現実の対応力なり情勢判断は自衛隊が行っているのにもかかわらず、政府は内部部局を自衛隊の代表ないし自衛隊の調教師と見なしている。
だが、内部部局の見解は必ずしも実力集団たる自衛隊の見解とは言い難い。
そこでは政策的な思惑が優先しており、つまりは政府が興味あるのは純粋な軍事判断ではなく、政府に都合のいいように脚色された内部部局の意見ということを意味する。


戦前の日本陸軍で考えてみる。
政策に関わる陸軍省の人間はいずれも武官であり、最高責任者は武官(現役かどうかは時代により変わるが)の陸軍大臣である。
現在のような○○大学出の軍事ド素人のインテリ事務次官とはわけが違う。
陸相になるには陸士出て、実戦部隊の中隊長等を慣行で定まった規定年数経験し、陸大に入り、あとは軍内部の職を転々と昇進していき、ようやくなれる。少なくとも一通りの軍部独自の論理は身に付いている。身につけられない人間はそもそも陸相にはなれない。

突然、閣僚に緊急召集がかかって軍部の見解を求められても、陸軍を代弁する立場にあり、しかもその論理も軍部のものである。
そしてその意見はまったく政府と異なるものだった。
まぁ昭和に入ると、軍部大臣現役武官制を利用して、軍部の気に入らない政策を内閣がとろうとすると、軍部大臣が辞職したりして、内閣をつぶし、それでも次の内閣に任命される人間が軍部の政策を支持しないと、後継陸相を内閣に送らず、流産させたりと無理矢理軍部の政策を押し通そうとしたのは事実であるが、これは制度に重大な欠陥があったからそんなことが可能だったのだ。

こんなことにはならないよう、先に述べたように、最終決定権は内閣の長たる首相に持たせ、軍部の意見はあくまで重要な価値判断の資料・提言とし、受け入れる・受け入れないを決めればいいだろう。

2.我が国は自衛隊を疎外する

PKO派遣でも、最近の北朝鮮工作船の追跡でも、政府は現場の声を無視して専ら野党の抽象的意見を重視する。
現場がいかに危険であるか、あるいは現地の逼迫した状況下での指揮官の苦悩等は、最近でこそ報道でふれられるようにはなったが、政府は依然として馬耳東風である。
換言すると
「自衛隊は国軍ではないから政権の走狗たらしめればよい」
との意向であろう。

指揮官の苦悩は察するに余りある。
北朝鮮工作船の追跡では、海保巡視船・自衛艦の船長・艦長はどれほど歯がゆい思いをしただろうか。
目の前を敵艦が悠々と北上していき、それを止める(沈める)能力がありながらも実力行使できない。
もし自分が艦長であれば、理性が負けて命令に逆らっても後のことを考えず撃沈しようとしただろう。
その点、最後まで政府の意向に添って行動した彼らは立派に職務を遂行したのである。
自分はタカ派寄りなので一連の成り行きが残念極まりない。
これは現場の人間が悪いのではなく、政府の弱腰がいけないのだ。
断固として、領海を守る決意をしなければならなかった。
これでは国土も守れるのかと不安となる。

やはり危機管理体制は三流なのだ、我が国の現状は。
国内では原子力施設に対するズサンな管理が先日の茨城での放射能漏れをもたらし、住民に多大な不安を与える遠因となった。
まさに内憂外患。

3.安全第一に温存

産経新聞が書いたように、政府は安全な時には自衛隊の艦艇を使ってトルコに仮設住宅を運ばせるが、危険な時には一般の航空機や船舶に依存しようとする。
これでは論理が逆立ちしている。
危険をも顧みず国家のためには死中に飛び込むのが国軍だが、自衛隊は安全第一に温存する。
それは決して自衛官の生命をおもんばかってのことではなく、憲法に起因すると称する「武力の行使」を避けるためにすぎない。


しかし憲法は世界の中で名誉ある地位を占めることを念願している。
とすれば、他国が当然と考える場合、我が国が自衛隊を使い、国際的なレベルで武器を使用することを躊躇すべきではなかろう

憲法の条文にこだわって世界の嘲笑を買うのと、現実社会で国権を発揚するのとどちらを採るべきか。
戦争に負けたからといってやみくもに武力を怖がる心理は異常である。
弱かったから負けたのではないか。
それを間違った戦争をしたためだと曲解した解釈に導いたのは占領軍であり、これに便乗する左傾人であった。
近隣諸国から内政干渉されるのも、我が国があまりにも軽いからだ。
この軽さは武装力だけではなく、政府の政治姿勢や外交態度そのものにある。
平和一辺倒で軍事を忘れた日常の政策決定が問題なのである。


我が国が真の意味で世界史上に残る貢献を今後行うためには、断固たる決意と国際平和を愛する精神を持った国軍の世界への展開が必要であろう。
地震で罹災者が出た、とくに軍事的に危険じゃないから自衛隊投入。
戦火に追われ、多くの人命が失われようとしている、危険だから自衛隊投入ダメ。
ホントに矛盾している。
毎度「日本は金を出すだけ」と非難されるのは平和愛好国民たる日本人にとって耐え難い屈辱であろう。
我が国軍の尊き血をもって、世界平和へ貢献すべきであろう。

先の戦争の解釈については既に東京裁判について論じたのであるが、普通、被占領国民の怨嗟の的は敵進駐軍である。
それは今後の占領政策にマズいと米国が、日本の戦争指導者へ的をすり替えたのである。
そして左翼は各地で集会を開いてトコトン便乗していった。
おかげさんで、現在の日本人は「軍」という言葉を聞いただけで嫌悪する希有な状態に陥っている。
そもそも何のために軍隊なる集団が各国にあるのか。
それは国民を守るためである、本来は。
だいたい、いつでも滅ぼされる恐れのある国を外国は信用するか?
その国の通貨は、経済は安定するか?
あまり例にだしたくないがアメリカが無事に発展しているのも、強力な軍事力によって自国の権益を守っているからだ。
(大国のエゴ剥きだしの部分がそこかしこに見られるのはおいといて)

それに引き替え我が日本。
あまつさえ北朝鮮のような小国の工作船にもナメられる始末。
某近隣大陸国の内政干渉に何も言えず、終いには結果的に従う有様。
責任問題に発展するのを恐れ、ひたすら事なかれと怯える政府。
明確な意志がそこにない。
国を思う気持ちより、我が身の保身を第一に考えている。
一般人ならまだしも、政治家には許されない行為で、国民に対する背信行為にあたるのではなかろうか。


政治を行う上で、軍事は絶対に切り離せない問題である。
軍人の論理=軍国主義という観念はいい加減改める時期ではなかろうか。
それを考える上でこの論文はとても意義あるものだと自分は思った。

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