左翼と逃避する戦後日本人


大東亜戦争が終わり、左翼が力を付けた。
戦前は治安維持法にてリーダーのほとんどが獄中にあったコミンテルン日本支部たる共産党(左翼)がなぜに現在力を付け、国民のウケも悪くないのはどうしてか。
そして、日本人の多くがあの大東亜戦争に引け目を負い、うしろめたさに脅え、一切を拒絶するのはなにが原因か。

それは敗戦後、国民大衆の怒りを連合国から当時の(戦争)指導者にすり替えるための極東国際軍事裁判にはじまる、マインドコントロールだという話は以前からしている。
今回は国内的な動きについて考えてみる。

ここで戦中なにかと治安維持法で煮え湯を飲まされた共産党が台頭してくるわけである。
別件逮捕、拷問、投獄とこれでもかとばかりに弾圧され、特高の目を奪いながら細々と活動していた彼らは戦後まもなく釈放され随所で大会を開いていた。
そこでは、

「この戦争は一部の帝国(軍国)主義者により引き起こされたもので、みなさん国民大衆はそれに踊らされただけで悪くない」

というような触れ込みをし、もっともらしいコトを全国各地へ語り歩いていったのである。
これがどういうことを意味するかわかるだろうか。

つまり、誰だって責任なんか負いたくない。身代わりがいるならソイツに全部罪をなすりつけてしまえば気が楽だ・・・というような気持ちを恣意的に起こさせたのである。
そしてマルクス・レーニン主義を説き、人はみな平等だとかいうありがたいお話を一般大衆に刷り込んでいった。
が、米軍の占領下であったため革命など起きるはずもなく、彼らの日本の共産国家化の目論みは潰えた。しかし大衆の心に潜在的な左翼の心は残って今なおくすぶっている。


ここで、左翼についてもう少し書いておく。
戦後の左翼の活動の源は、コミンテルンがその日本支部である日本共産党に与えたいわゆる27年テーゼあるいは32年テーゼに基づくものである。この見解は当時の左翼寄りの人が客観的・科学的に正当性を力説して触れ回った。戦争責任については、天皇制ファシスト、天皇を頂点とする軍閥、資本家、大地主等とそのイデオローグに求めるものである。
さらに、「社会主義国家は歴史的にも理論的にも侵略戦争はしない」という神話まで説くようになる。
しかし、賢明な方なら天皇制ファシストはともかく、この神話がウソであると気づくだろう。
そう、既に歴史で証明されている。
日ソ中立条約を踏みにじり、満州で在留日本人らを虐殺し、さらにはシベリアに連れ去ったのは何主義の国だ?
戦後もハンガリー、チェコスロバギア、アフガンと自国の権益の為に出兵したのは何主義の国だ?

とはいえ、当時この帝国主義侵略戦争論は戦後「解放(?)」された日本人には受けがよかった。
前に述べたように責任は「天皇制ファシスト」のみであり、一般国民は「犠牲者」であるという免責の論理が理屈の単純さも相成って歓迎される面があった。

※この犠牲者という考え方は今でも根強く残っている。(特にマスメディア界において)

幸か不幸か現在、マルクス・レーニン主義の正道を主義主張する人は共産党員を除き、そう多くはない。
しかし、潜在的な左翼意識を持った人は大勢いる。
そして大東亜戦争を忌み嫌い、目を背ける風潮が世論となり反映されている。

ちょっとでも大東亜戦争のことを記事にすれば(事実にしろ虚にしろ)、たちまち潜在左翼の人々が非難する。
以前、我がHPの掲示板にも品のない雑言が書かれたが、そういう理由からである。


つまり、彼ら潜在左翼は逃げているのだ、大東亜戦争から。
臭いものにはフタをして遠ざけ、どっかで話がもちあがったらすかさず非難する。そうすれば自分は正しい人間だと信じることができると考えているのだ。

・・・・果たしてそれで問題解決になるのだろうか。
根本的に違いやせんだろうか。
我々戦後日本人が成すべきことは、大東亜戦争の真実を酸いも甘いも知り、そのうえで自らの主義主張の方向性を見いだすべきではないだろうか。最初っから逃げていたのでは、何も意味がない。
中国や朝鮮の人に対し、国は賠償しろ、保証しろ、反省しろなどと盲目的に叫ぶ人がいるが、彼らの大半はこの潜在左翼の織りなす世論(空気)にそった行動で、特に主義なんてなく(もちろん知識もなく)、そうすることによって、さきほど述べたように自己を正当化しているにすぎない卑怯者だ。

私はこの空気に逆らい、大東亜戦争に関する著述を今後も続けていく。
孤独な戦いだ・・・

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