中村大尉事件

参謀本部員、中村震太郎大尉は日本軍が興安嶺をななめに横断する場合を想定しての実地調査を命じられ、6月に現地入りした。ところが、中国の屯墾軍の捕虜となって、銃殺されたばかりか、死体を焼かれた。

関東軍はこれに激怒し、石原参謀らはこれを契機に武力発動をしようと考えたのか、関東軍の若干部隊を派遣して、それを背景に強硬折衝を行うことを主張した。しかし、外務大臣幣原喜重郎に抑えられ、外交ルートを通じての談判が行われた。

しかし、中国側は容易に殺害事実を認めず、交渉は難航した。最後には中国側が事件を認めたのだが、それは満州事変が勃発した9月18日のことだった。

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