風船爆弾

日本本土から打ち上げられ、大平洋を横断した「ふ」号兵器、風船爆弾が、米オレゴン州で女性一人、12,13歳の子供5人、計6人の命を奪った。45年5月5日のことである。

日本軍大本営直属の秘密部隊は、国内の3ヶ所から米本土に向けて、44年11月から45年4月にかけ、9000個以上の風船爆弾を放った。米本土をはじめ、アラスカ、カナダ、メキシコに落ち、原因不明の爆発事故と山火事などを起こした。米市民もまた無差別攻撃にさらされたと言ってもいい。もっとも規模がまるっきり違うが。

風船爆弾はコンニャク糊で和紙を貼りあわせた直径10メートルの気球に水素ガスを注入し、爆弾や焼夷弾をつるし、米本土を攻撃した兵器だ。風船爆弾は東京の日本劇場、宝塚劇場、国技館、国際劇場、有楽座で、中学生や女学生・女子挺身隊の手で作られた。

日本の晩秋から冬季にかけて、上空1万メートル前後を吹くジェット気流(偏西風)は、時速200キロを越える。風船爆弾はこのジェット気流を利用するために、高度保持装置をつけ、約50時間後に米本土上空に到達し、自動的に落下したり発火する仕掛けになっていた。

米軍は市民に恐怖心を与えないように、風船爆弾に関しては報道管制をしいたが、米誌「タイムス」が報じたこともある。

風船爆弾は西海岸ワシントン州のプルトニウム製造工場の送電線にひっかかり、原子爆弾の製造を3日遅らせた、という話もある。またルーズベルト大統領の死後に就任したトルーマン大統領が、風船爆弾による細菌散布を恐れていたことも、原爆投下決定の要因のひとつであったとも言われるが、まぁ真意は承知のように原爆性能試験であることは明白だ。。

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