義烈空挺隊

義烈空挺隊は日本陸軍の正規の空挺部隊が沖縄への斬り込みを図った特別攻撃である。陸軍には開戦当初の1941年蘭印攻略戦においてメナドやパレンバンに降下した精鋭空挺部隊(その後、国内で彼らは「空の神兵」と呼ばれた)がまだ残されており、この使い道を模索していたのだ。

隊長以下136人、強行着陸をする97式重爆12機の搭乗員32人の編成で、昭和20年、5月24日午後10時過ぎ、熊本陸軍建軍基地を飛び立った攻撃隊は途中、米軍機の迎撃を受けつつも、沖縄北(読谷)飛行場に4機、中飛行場に2機が強行着陸した。米軍は大混乱に陥り、38機の米軍機が破壊され、多数の死傷者を出した。戦いの後、69人の日本兵の死体が残された。隊員は手榴弾10発が詰め込まれた弾帯、破甲爆雷の入った雑のうを装備していた。その風体はまさに人間爆弾であった。
空の神兵の意地を見せた壮絶な戦いぶりであった。

余談だが、現在の陸上自衛隊第一空挺団の駐屯地、習志野基地の営庭には旧陸軍からのパレンバンの勇士像がある。

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