潜水艦によるドイツ訪問

日本の潜水艦の戦場は、日本軍戦域をはるか越え、大平洋、インド洋、大西洋と世界の海を潜航していた。
真珠湾攻撃にも潜水艦隊は参加したが、地味な作戦なため(哨戒偵察、特殊潜航艇の発進・収容など)航空機による戦果が大きく、その陰にかくれてしまった。翌42年1〜2月に、伊号第八潜水艦は「米本土西岸行」の作戦に従事した。伊八潜は、サンフランシスコ沖で3〜4日間、索敵行動を行った。が見るべき戦果もなくシアトルとサンフランシスコの中間にあるユーリカの町を砲撃することになったが結局は中止となった。米側には42年に太平洋岸に接近した日本潜水艦が小型水上機を飛ばし焼夷弾を投下して山火事を起こしたという報道もあるが、日本軍の記録にはない。

連合国側はたびたび首脳会談を開き、軍事・政治の重要な統一決定を行ったが日独伊はそうした機会を持つことはできなかった。そこで伊号第三〇潜水艦が、ドイツで不足しているゴムなどの南方物資、機密兵器や設計図をドイツまで運び、ドイツの電波探信儀(レーダー)と設計図を日本に持ち帰ることになった。伊三〇潜はインド洋からアフリカのケープタウン沖をまわり大西洋からドイツに行き、シンガポールまで帰ってきたが、英軍が敷設した機雷に触れ、沈没した。

その後、伊八潜もドイツまで渡航し、無事任務を終えた。潜水艦による訪独作戦で、往復とも無事に成功したのは、この伊八潜だけである。

日独間の情報交換は、戦争末期にはもはや、無線電信による暗号電報のほかは、ごく僅かの潜水艦の往来しかなかった。正確な情報判断を交換できるルートもなかったのだ。

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