山本長官の最期(概略)

43年4月16日、真珠湾攻撃の企画者、山本五十六連合艦隊司令長官が最前線の士気高揚のため訪問する「作戦特別緊急電報」が旗艦武蔵から各基地に暗号で打電された。アリューシャン列島ダッチハーバーの米軍無線局は、これを傍受しワシントンに転電した。暗号解読班が解読、ノックス海軍長官に報告した。ノックス長官は陸軍航空隊のアーノルド司令官と待ち伏せ計画をたて、ガダルカナル島ヘンダーソン基地に迎撃命令を打電した。

18日、ミッチェル少佐指揮のP−38戦闘機16機がブーゲンビル島上空で待ち伏せた。ちなみにP−38戦闘機は双胴双発の大型戦闘機で重火力と高速力を利用した一撃離脱戦法でラバウル航空隊等の日本搭乗員を苦しめた。「双胴の悪魔」とかその格好から「メザシ」とも呼ばれていた。(笑)

話を戻して、山本長官と宇垣参謀長らは一式陸攻2機に分乗し、直衛機零戦6機と共にラバウル基地を出発したが、ミッチェル隊に襲われ長官搭乗の一番機が狙われ、右エンジンから火を噴き、黒煙をあげながらジャングルに突っ込んでいった。山本長官は機上にて戦死していた、2発の機銃弾を頭部と胸に受けていたのだ。

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