万宝山事件

1933年(昭和8)5月、長春の西方約30キロの万宝山付近に約200人の朝鮮人が入植し、水田耕作に必要な灌漑設備(用水路)建設工事を地主に無断で始めたことから、付近に住む中国人農民との間に対立が生まれた。

そしてその対立は、双方とも実力を行使するようになるまでエスカレートし、急遽駆けつけた日本人警官隊が中国人農民に機関銃弾を浴びせるような事態になった。

当時の朝鮮人は日本国民であり、その背後には日本があったので、中国人の反日感情が端なくも爆発したものと言える。

さらに大変なことに、この事件を契機に朝鮮に住む中国人に対し朝鮮人が各地で報復行動をとったのだ。騒ぎは7月3日仁川(じんせん)からはじまり、瞬く間に京城(現ソウル)・元山・新義州にひろがっていき、5日夜平壌(ピョンヤン)に及んだときクライマックスに達した。

彼らは入れ替わり立ち替わりに略奪・放火・破壊とあらゆる暴動を働き、多数の中国人が殺傷された。

戻る