大久野島にあった毒ガス工場

この島に毒ガス工場が設置されたのは1927年(昭2)である。それから6年後にドイツからイペリット製造装置が輸入され、終戦まで約3千トン以上のイペリットガスが造られた。それは目や皮膚、さらには呼吸器など人体をじわじわ犯す恐るべき毒ガスであった。

もっとも毒ガス攻撃を日本軍が行うつもりであったかどうかは不明である。
必ず報復攻撃を受けるし、国際社会での信用度もガタ墜ちになってしまう。ドイツも結局最後まで連合軍に対し毒ガス攻撃は行えなかった。
終戦後、米軍によって工場は焼き払われた。この際、米軍は資料を全て持ち去ったという話もあるようだ。
今でも毒ガスの貯蔵タンクの跡は残っている。

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