人村上 「日本人は此処に居る!


「義を見てせざるは勇無きなり」

そうすることが正しいと知りながら、あえてしないのは、その人に勇気がないからである。
(福武国語辞典より抜粋)

最近の日本人を見るに「義」という美徳を見失っているように思える。
嘆かわしいことであるが、事実である。
なにより我が社会システムが競争によって成り立っているのは致し方ないことであるが、それでも最低限、人間としての道義、日本的に言うならば道徳、西洋的に言えば理性と言おうか、これは守らねばならない。
スポーツにおいても一定のルールの下競い合い、その結果としての勝ち負けは何も恥じるものではない。
恥じるべきものは、ルールを逸脱した者の行為である。

「勝てばいいんだ」と審判を事前に買収して行う野球などは相手チームのファンはおろか、自分チームのファンをも憤慨させるだろう、当然である。入試で裏口入学する者も然りだ。
会社においては自らの失敗の責めを部下になすりつけたり、部下の功績は我がものにする。
まさにドラマにある悪徳代官顔負けの行為を平然とやってのける。
ああ、恥ずかしい。

卑近の例をあげれば、自販機で先客が釣り銭を取り忘れたのをいいことに、自分のフトコロに納めることである。

あんまりいい例ではないが、我々はこんなにも無節操かつ道徳に欠けた民族であったろうか。
一人でもいいから日本人の「義」を世間に知らしめるような人物は居ないのか。
現代では見当たらないが、我らの先輩に立派な方が居る。
今回は義人村上と呼ばれた、村上久米太郎(条太郎?)氏の話を書きます。

匪賊、国際夜行列車を襲撃、人質10名連れ去られる

時は遡り、昭和9年。
所は王道楽土の満州国。
当時、満州は国家として歩み始めたばかりで、いまだ地方には匪賊と呼ばれる武装集団が群雄割拠し、その対策に手を焼いていた。
匪賊による襲撃は後を絶たず、各地で民衆が被害を被っていた。

そんな時代の昭和9年8月30日の深夜。
ハルピン発新京行きの国際夜行列車が突如多数の匪賊に襲撃された。
いわゆる列車強盗である。

匪賊らは用意周到に線路から約10bほどの所に塹壕を築いていて、銃撃してきたのだった。
そして彼らは二手に分かれ、一手が警備の為乗っていた日本兵の乗る車両を乱射し、日本兵の行動を阻止する一方、片手が次々と一等、二等客室になだれ込んできた。
この時匪賊らは
「日本人を殺せ、殺せ!」
と叫び、銃を乱射した。
三等車は転覆し、乗客のほとんどが下敷きになり、圧死。匪賊らは次々と部屋に押し入り、略奪を開始した。
逃げ惑う乗客をあざ笑うかのように匪賊はその後1時間半も居座り続け、ホラ貝の合図が鳴ると、一目散に逃げていった。

さらに、普通の列車強盗事件と違い、匪賊らは人質10名(9名という説あり)を連れていったのである。
人質は邦人(朝鮮人4名を含む)の他にアメリカ人2名を含む10人である。
アメリカ人はメトロ社社員と、リューリー商會のリユリさんとのこと。

この事件における満州人を除く死傷者は
死  亡 10名
重傷者  7名
拉致者 10名
であった。(東京朝日新聞8月31日掲載時点)

討伐に逆上して襲撃

31日、朝5時に遭難現場に特別救援列車が急行し、満州国軍とともに大捜索を開始した。
この際、重傷の匪賊1名を捕らえ、その自白により、一味は吉林軍の追撃を受け、敗走してきた反満抗日分子の一部で、討伐を受けた腹いせに襲撃したことがわかった。

「日本人はここだ!」
村上氏の満腔義烈の声響き、人質無事救出さる

日本軍、吉林軍、双城縣警察隊が協力して必死の捜索活動を行い、ようやく包囲することに成功した。
されども、まだ正確な位置は把握できておらず、航空機も動員してのさらなる捜索が続いた。

拉致された邦人らは、日本人と名乗れば即座に殺されるので、ある者はフィリピン人、ある者はメキシコ人と名乗った。
人質の一人、ハルピン民政部事務官村上久米太郎は朝鮮人と名乗りつつ、脱出の機会を窺っていた。
連れ動かされる間、村上はさびた鋏を拾い機を見て脱走・・・・されどすぐ捕まりボロボロに殴られた。

そして用意されていたジャンク(小舟)に乗り込まされる。
空には飛行機を爆音が響き、一同に「救出は近い」と顔を和ませるが、まだ安心できない。

9月2日の夜明け、頭目らしき者が
「声をたてると殺す」
と脅しながら人質らを中州にある小島に上陸させ、3尺ぐらいの穴を掘ってその中に人質らを入れ、穴の回りをぐるりと銃を持った匪賊が取り囲み、一人一人の顔に銃口をつきつけた。
一同は
「もうダメだ、殺される」
と覚悟したその時、救援隊の声が聞こえてきた!

「日本人は居ないか?」
「日本人はどこだ?」


今すぐにも大声を上げたいところだが、そんなことをすればたちまち殺されてしまう。
目の前をボートに乗った救援隊が行ってしまう・・・。
みんなが「もうダメだ」と絶望的な情況の中で、敢然と立ち上がった男がいた。
村上である。
たまりかねた村上は突如立ち上がり、銃を突きつける匪賊を睨み付けるや否や

「日本人はここに居る!!」

と大声で叫んだ。
と同時に村上は顎を打ち抜かれ、左腕に被弾し、鮮血を流しつつ倒れた。

このとき他の人質らは「自分らも撃たれる」と思ったが、匪賊らは自分らの銃声に驚き、ボートと反対側に次々と飛び込み泳ぎだした。
そのボートは海軍防備隊のもので、村上の絶叫を聞きつけ、すぐ全部隊に連絡。
そして救援隊は人質らを収容しつつ、泳いで逃げる匪賊らを次々と射殺した。
村上の貴い犠牲の結果、逮捕56名、人質は無事救出された。

救出の際、アメリカ人のリユリ氏は感激して村上を助け起こし
「かくのごとき偉人は日本人にして初めてこれが見られる」
と叫んだほどであった。


義人村上

村上のその崇高な態度は日本人はもちろん世界の人の心を打ち、特に国内では義人村上と讃えられた。
この事件をテーマにさっそく歌が作られ、佐藤惣之助が詩を作り古関裕而が作曲した「義人村上 〜日本人は此処に在り〜」が完成した。

         義人村上  〜日本人は此処に在り〜

1.何処へ曳かるる人質ぞ
  首や双手(もろて)は縄からげ
  二日二夕夜も休みなく
  明けりゃジャンクの船の底

2.救援隊の呼ぶ声に
  慌てふためく匪賊共
  口に銃口つきつけて
  撃つぞ叫ぶな声立つな

3.それ 皇軍の短艇(ふね)が行く
  呼べば撃たれん叫ばずは
  天に口無し すはや今
  歯を噛みならす一刹那

4.丈夫 村上久米太郎
  匪賊蹴破り躍りいで
  満腔義烈の声こめて
  「日本人はここにいる!」

5.叫ぶやいなや弾丸は
  顎を貫き犠牲(いけにえ)に
  君を倒せどその声に
  内外人は救われぬ

6.君傷つきぬされど今
  義烈輝く日本の
  精神ならで誰が呼ぶ
  この一ト声(ひとこえ)を誰が呼ぶ

     日本コロンビア「軍歌戦時歌謡大全集(三) 戦時歌謡(一)」より抜粋


さらに、満州国皇帝(溥儀)は村上の功績を認め、7日付で勲五等に叙し景雲章を賜った。
外務省では人命救助・匪賊討伐の功を認めて金一封(500円)を村上に贈ることにした。
また同じく、米人社員が拉致されたメトロ・ゴールドウィン・マイヤー(MGM)の代表者アーサー・ローエル氏は広田外相宛に村上氏への厚い感謝の意を表した。


最後に、今回の事件に際して、匪賊にしてはあまりにも優秀な武器を装備し、かつ計画的であった点につき、背後に匪賊と気脈を通じる者があったと思われる。後の調査で北満匪賊の陰にソ連極東軍があると軍部は発表した。

ここに、日本人の美徳あり。
村上は世界に日本人の崇高さをアピールしました。
彼こそまさに日本のヒーローであります。
ところがどうだ、現代は。
旅行が身近になったからと、世界中に恥を知らない日本人が飛び回るようになった。
おかげで日本人の品格を落とすような行為を随所で行っている。

偏差値教育、受験のための教育により、道徳など軽々しく捨てられた現代教育で育った若者に恥の意識はほとんどない。
あまつさえ、受験戦争では他人を思いやるどころか蹴落とすことしか念頭にないのだから、道徳が育つはずもない。

海外へ出るということは、自分が日本の代表者であるという自覚が欲しい。
少なくとも、自分が海外で行動する際、その国の民に自分を通して「日本人」を感じさせるということを忘れるな。
例えば、パリで日本人が泥棒すれば、パリに住む人は「ああ、日本人とはこういう連中なのだな、用心しないと」と思わせ、逆に、日本人が親切にすれば「ああ、日本人はなかなかいいヤツらだ」と思わせることになる。

教育はこういうところを教えなきゃダメだ。

ともかくも、こういう美談があることをみなさんに紹介できてよかった。
戦前のこととなると、全て悪いことしかイメージがわかない(教科書からしてそうなっている)最近の人には、違った角度から見つめ直すいい機会だと思います。
他にもまだまだ美談はあります。
軍国主義の名の下に埋もれてしまったこういう美談をまた紹介していきたいです。

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